マックス・ウェーバー『理解社会学のカテゴリー』

マックス・ウェーバー『理解社会学のカテゴリー』(岩波文庫ISBN:4003420918)を読みました。


それほどの分量ではなく今日一日で読み終わったのですが、さすがにわかりにくい。だって、

すなわち――われわれはここではわざと「非専門的な」表現を使うが――、いまかりに、一定の社会学的に重要な資質や性向、たとえばある種の社会的な力の追求の発生や、その力を獲得するための可能性<シャーンス>を、促進するところの資質や性向――これらは一般的にいえば行為を合理的に行なうという能力であり、特殊的にいえば一定のその他の明示しうる知的資質であるが――がどの程度に存在しているかということを、頭蓋指数だとか、何らかのメルクマールを持った一定の人間集団からの出自という事実と、どうにかして近似的に一義的に関係させることにいったん成功したと仮定しよう。

どうなんですかこれ!? これで一文ですよ?


いったん心を落ち着けて再び読み返しました。こういうのは技術的なテクニック(同語反復)。


文の構造としては、「仮定しよう」がメイン。何を仮定するか。

「成功したと仮定しよう」。では何に成功したのか。

「(近似的に一義的に)関係させることに成功した」。……「関係させる」という述語が既にわかりづらい(「関連づける」ととらえてよいのかな?)が、では何と何を関係させることか。

「資質や性向がどの程度に存在しているか」ということと、「事実」を関係させること。

「〜を促進する資質・性向」と「一定の人間集団からの出自という事実」。

かみくだいていうと、<たとえば「頭のよさと、その人の社会的重要性には相関関係がある」と証明できたとするよ?>という感じか。


……こんな感じで読み進めていったわけです。これでも訳者まえがきによると翻訳の技術上、ウェーバーの長い原文を短く切って訳してあるというからおそろしい。


訳者の解説が参考になるので、読まれる方は後ろの解説からお読みになった方がよいかもしれません。とりあえず読んだ後に書いたメモを順不同で載せます。

  • 心理学・法解釈学と理解社会学の相違
  • 合理的手法によって不合理なものを把握する
  • 「内面」に関しても概念を秩序立てて捉える
  • 社会・人間の行動の分析の前提としての個人の把握
  • ゲマインシャフトゲゼルシャフトに対するウェーバーの中途段階における理解
  • 人間集団の一定の関係における規範の定立と、その働き方の区分(これがメイン)
  • 「文明人」の「未開人」との違い:日常生活の諸条件が、原理的に合理的であると信じるのが一般的かどうか

私の感じたこととしては、「法化」現象、社団あるいは組合という概念について新たな示唆を与えられました。また国家が実はゲゼルシャフトではない(社会契約論は説明の仕方にすぎない)という見方も、最近の自分の感覚としては新鮮だった(ウェーバーが明示的にそう主張しているわけではありませんが)。

集団の特質ごとにその集団を支配する定律が(ある程度段階的に)異なること、またそこでいう定律はそれに背く者にさえも一定の基準として参照されること、みたいな感じかな。このあたりかなり厳密に細かい議論が行なわれているので、漠然としか把握していません。


用語の使い方や理解の仕方が違うと思われる方はぜひ指摘をお願いします。とんでもない間違いをしていそうです。本来はもっと厳密な読みを要求される本だと感じました。


ていうかこの記事、漢字、多っ!