「想像力を欠いている」と非難する想像力の乏しさ


 green - 決まっています、が通用しない社会を読んで思い出したこと。別に元の記事への批判とかではありません*1greenは読んでいて共感することが多いし。


上記の例で言えば、たぶん夏場に、「コーヒー」と注文した客に、「夏にコーヒーってったらアイスコーヒーやろうもん、あんたはなんばしよっとね」とかクレームをつけられて、防衛的に過剰に「確認」をすることがマニュアル化したのだろうと思う。

日本が少しだけアメリカになった瞬間である。

こうすればこうなるだろう、こうしてくれるだろうという予測が効きにくい、一定の動作を導き出すためにはインプットの手間を増やす必要が多い世間は、総量で言えば無駄なコストがかかるのだろうなと思うが、よりクリアに可視化された社会でもある。

 これまで何度か、「ファーストフード*2店に一人で入って、ハンバーガーを十数個頼んだら、店内でお召し上がりかと尋ねられた。そんなわけはないだろう、他の人の分も買って持ち帰るのに決まっているだろう。わしは怒った。想像力が絶望的に乏しい、マニュアル人間の弊害の例だ」的な文章を読んだことがある。


 だけど、実際には、黙々と店内で食べ続ける人もいるんですよね。他のことをしながらとか。

 そんなわけはない、と決めつけるほうが、想像力が乏しい。しかも、相手に怒りをぶつけている点からして、自分の想像力のほうが乏しいという可能性を想像もしていない。(店員は相手に尋ねているから、自分の想像力には限界があるということに、より自覚的といえる。)

 まあどうせ想像力が乏しい同士なら、いきなり怒らないほうがいい、とは思うんですが。


 はてなブックマーク - 猫を償うに猫をもってせよ - 「想像力」の濫用などや、


「農業体験実習というのはそういうもの。農家なんて一人でできるものではない。農業をやりたければお嫁さんになるしかない。どうしてそういう想像が働かなかったのか。想像力が薄いあなたの方が悪い」
 を考えても、想像力とはなかなか厄介な用語だな。

 ちなみに、私はどちらかといえば「想像力が豊か」とか「考えすぎ」と言われがちな方です(笑)。

*1:誰かを批判する時はそうわかるように書いています。

*2:最近はファストフードと表記する人も多いけど