正常性バイアスと認知的不協和

id:sakuratsukiさんの[diary]バラエティー番組で紹介された言葉。で、「正常性バイアス」という概念を知りました。


検索して「ためしてガッテン」の防災に関するページを発見。

近年、災害心理学の分野では、災害時の人間の心理として「正常性バイアス」と呼ばれる状態に影響され、避難等が遅れることが指摘されています。そこで番組では、専門家との共同で、非常事態に直面した人間がとる行動を分析する実験を行いました。

このような行動の違いは、異常なことがゆっくりと迫ってくる場合には正常性バイアスが強く働き、避難行動を起こしにくくなることで説明ができます。また3人でいる場合も1人の時に比べて、行動を起こすのに1分近く遅れが出ることがわかりました。

※「正常性バイアス」はnormalcybiasの訳語で、「正常化の偏見」「正常への偏向」とも表記されます。

ゆでガエル(私信:ごめんよ!) + 「みんなで渡っているときに赤信号になっても怖くない」ってことか。


この概念を知ってまず思ったのは、これが認知的不協和理論(わかりやすい説明としては1 世の中を見る目、人を見る目(2)認知的不協和理論かな)と結びついて利用されると悲惨、ということ。

ゆっくりと影響を及ぼし、しかも本人が気づいたときにはもうのめり込ませてしまっている。自分がのめり込んでしまっている対象がダメだとは思いたくない、だから対象を必死に心の中で持ち上げる、という心理。


何も新興宗教みたいな大げさなレベルでなくても、その辺にゴロゴロ例がある。だめんず・うぉ〜か〜とか読んだらもうガクガクブルブルですよ(←リンク先のAmazonのレビューもご覧あれ)。


しかもだめんずは自分にだめんずという自覚がないから余計に怖い。というより、だめんずは巧妙に自分を正当化する(屁)理屈を持っているからね……。ルサンチマンともつながるな。「あの人は特別な人だからこういうことをしてもいい」という発想がおかしい、ということ。


と、そんなことを考えました。