早起きすぎ
早めに寝たら中途半端な時間に目がさめてしまった。
……とさっき書いていたら携帯の電池切れで消えてしまった。
アンテナを携帯から見ていて、多くの人のさまざまな関心からなるコスモスだとか、コスモスの多義性(個を重視した自由主義か、心理主義的統合か、ニューエイジ風の有機的な全体主義か)とか、これはイーガンほどつきつめなくてもアシモフのファウンデーションシリーズで既に、とか書いていた。シド・マイヤーズのアルファ・ケンタウリのことは書いてなかった。
日本で支配的なパラダイムはおそらく最後の「ニューエイジ風〜」つまりファウンデーションシリーズにいうガラクシアで、これに関連して、「月と太陽のおもいで。」のコメント欄もメモしていた。
一般に、多くのサイトはいわゆるネタに偏重しそれに終始しているようでもある。しかしあるいはそうでないかもしれず、少なくとも私がさっき見たサイト群はそれぞれが別個の美しさを備えていた。それで上のようなことを思った。コスモスでなく曼陀羅といってもいい(←携帯で単漢字変換なので漢字あやふや)
……とここまでは送信できなかった記事の話で、今書きたかったのは別の話。
昔、いまだにひどく腹が立つことをされた。しかし目を自分の側に向けることで、さっき楽になった。
自分としては間違ったことも恥ずかしいこともしていない、と断定できる。だからこそ腹が立つのだが、陰で何をいいふらされようと、それを聞いた人に誤解されようと、私の責任ではない。
人はそれぞれ自分の行動についてのみ責任を負う。逆にいえば自分の行動についてはそれにふさわしい報いを受ける、だから別にいいや。
こんな風に一応の解決をみないと文字にはしないことにしている。でも公開しない範囲では文字にしてみた方がいいのかも。