私の「失礼な言動」や、表現の盗用の有無などについて

 rucciさんのあーもう嫌や、Darekaさんの[ネタ]パクられてるわたしを自らパクってみたよ。で、人に対して親切にしているふうを装って、結局自分を良く見せることが目的の人そのほか、相当手厳しいことを書かれていました。昨日今日で気づきました。
 それぞれさかのぼって飛び飛びに、私に関する記事が続いているようです。他のかたもご覧になって、私と私の文章に対する認識を確かめ直されたらよいかもしれません。

 人からきつい言葉を頂く機会というのはそうないので、その点は感謝します。同じようなきつい言葉で返すつもりはないので、相変わらず善人気どりに見える文になると思います。

 かなり手ひどい表現なので、正直ムッとしたことは書いておきます(書かないことでまた「偽善的だ」などと言われたくないので)。ですがそれだけ怒らせているということなのでしょう。それはたいへん申し訳なく思っています。rucciさんがこっちがそんな気を使って相手してやっていることに少しも気づきもしないのがこれまた耐え難いとおっしゃる事態にもたしかに気づきませんでした。


 おそらく今回も状況からし芝居がかった言動と言われてしまいそうですが、こじれたときに丁寧に書こうとするとこういう書き方になるので、その点はご容赦ください。
 人の気持ちも自分の気持ちにもフタして見ない状態だから、気づけというのが構造的にムリといわれてしまうと、私が謝っても「結局自分を良く見せることが目的」「塗り固めた嘘」「自覚がなくて口先でしかあやまれない」ということになり、また誤解だと思う点について私が説明しても「他人を尊重しない」ということになってしまうので、最初から予め言葉を封じられた気分です。私としては一応気持ちをお伝えしておきたいと思います。

 先に少しだけ書いておくと、たしかに失礼な言動はあったと思います、すみません。「パクり」は、ご指摘を受けて見直してみましたが、まったくの誤解です。


 rucciさんは心配なら私に接触しないでくださいと書いていますが、「すくなくとも、Darekaさんに対してはひどく失礼なことしているのだから、あやまったほうがいいのでは。」「オープンな場の方がいいとおもいます」と言われたので、状況を示すためリンクは張っておきます。見当違いかもしれませんが、いくつか思い当たるところを挙げます。

http://d.hatena.ne.jp/./rucci/20050524#c

『こんばんはー(かな?)。結果としては逆の考えのように読めるようなことをよく書いてますが、私もそうだなと思います。第一印象で自分の中に生まれた違和感を相手への好意だとか興味と感じてしまう人もいるので、私はそのあたりが念頭にありました。
あと一般論としては男女問わず詐欺師はいるので、私は良いと思える人の中でもさらに集中してかまってますだよ。私も人にそうやって切られてるかもですが…アハハ。』

 というのは不用意な発言でした。「私の矛盾している考えがばれてしまうから」ではなく、読者のかたが自分のことだと思って傷つく危険をあまり考えていなかったからです。半ば冗談でしたが、同じような問題意識を持っているのであまり厳密に書かなくても意図は通じる、との甘えがありました。すみませんでした。


 詐欺師というのは乱暴な言い方でしたが、「文は人なり」というrucciさんの文脈で誤解されるおそれをあまり考えていなかったのは私のミスです。ここで詐欺師と書いたのは、当時の記憶を辿ってみると、結婚詐欺からオレオレ詐欺まで文字通りの「詐欺師」を念頭に置いていました。

 Darekaさんを馬鹿にするような意図はまったくなく、そのように読めるとも思っていませんでした。元々Darekaさんが詐欺師の類などと思ったことも一度もありません。むしろ、似たような経験をしたことがあったのだろうと思っていたので、視点を共有しているように感じていました。最初に「rucciさん」と呼びかけず、ただ「こんばんはー」と書いたのも、Darekaさんのコメントも含めて「私も共感します」という話題に加わったつもりだったからです。

 「○○は頭が悪い」と書いたかどうかは憶えていません。「頭が悪い」を自分のダイアリーで検索したところ、左翼の人はとかく感情論で突っ走るとか、頭が悪い人が多いという批判をここ数年と、[Web][雑記] 左近の心情は左翼に近いだよで書いたことはありました。それだけでした。
 たしか「だまされる人もいるんだから」みたいな内容のことは書いた覚えがあります。これは、rucciさんにおもねるような書き方をした点は反省しますが、私自身を含めて誰でも他の人にだまされる危険は大いにあると思っています。

 また、[彼方より][雑記]擬態語で「あるかたのダイアリーを先ほど読んで思ったこと」と書きましたが、「あるかた」というのはDarekaさんのことではありません。念のため。

 rucciさんがおっしゃる人に対して親切にしているふうを装って、結局自分を良く見せることが目的、少なくともそういう人がいるという視点は以前から持っています。そして、私としてはむしろそうではありたくないという気持ちが強くあります。そのせいで、相手に親切ととられそうな行為の際には無神経や無礼に思えるような断り書きをつけることがあり、後で反省することも多々あります。
 〈反省しているという謙虚な姿勢をあえて公に見せて、同情を引いたり自分をよく見せようとすること〉に対しても嫌悪があり、また相手に迷惑とも思うので、どの件でどう反省したというのもあまり書かないことにしています。


 私の自分の本当の思いや考えや好みが他にあるのかどうか、私はよくわかりません。私が地に足の着かない他所からの借り物で塗り固めているからかもしれません。こうした点など、他のかたのご意見を伺ってみたいと思います。rucciさんとDarekaさんのご意見はわかりました。現時点で他の一人からまったく違う意見はいただきました。

 自分としてはさまざまな分野から学んでいる途中なので、実際借り物にとどまっている場合も多いと思います。ただ、借り物にとどめて自分を飾るのではなく、自分であれこれ考えようとして、その思考の過程で「酷評」のようになってしまっていることもあります。「自分を良く見せ」ようと思っているわけではないことの表れと自分では理解していますが、それが別にいいことだとは思っていません。そういう留保をたくさん書くのは楽しくはありません。

 基本的には自分の勉強のために書いています。私という人間に注目して欲しいわけでは全然ないので、「酷評」などが自分を飾っているように受け取られて嘲笑され憎まれる傾向があるのなら、単純な感動以外のものを感じる作品についてはあまりいちいち読書録などネットに書かないことにしようかとも思っています。ブックマークも控えめにしますが、匿名や別のIDで行う手段がないもので、ある程度はやむを得ません。一応はてな退会も視野には入っています。

 自分は自尊心が高いとか低いと自分でいってみても無意味な話ですね。私は他人を尊重していますとかいうのも同様です。 rucciさんはコメント欄でむしろderekさんや私が極端に神経質で小うるさい人(失礼〜)なのではないかと。なんかこう一見、手厳しく糾弾しちゃったりしてますが、実質的には「お願い、わたしたちのことをいじめないで〜」って感じです(笑)とおっしゃっていますが、そんな風にとられていましたか。「文は人なり」関連の話題でも、私が丁寧な姿勢を芝居がかった言動で貫こうとしていたのがかえって負担だったのかもしれません。その点もお詫びします。



 Darekaさんは私のことを許せないと思うあまり、rucciさんとの関係まで半ば断つほどに気分を害していらっしゃるようで、http://d.hatena.ne.jp/./Dareka/20050612#p2などをはじめ、私の事についてかなり厳しく書かれています。rucciさんには、巻き込んでしまったこともお詫びします。ごめんなさい。

 この記事全体も「矛盾や自己欺瞞、弁解、正当化、言い訳」ということになりそうですし、Darekaさんは「Darekaさんのダイアリーを拝見したのは久しぶりなので、パクりというのは単純な誤解です」とコメント欄に書いた私の言葉を信用しておられないようなので徒労感がありますが、http://d.hatena.ne.jp/./Dareka/20050613#p3に書かれている疑問についても弁解しておきます。


自分であの元ネタとなった部分を読んでいて「うっ」と来ないものなのでしょうか。

 元ネタとなった自分の文章については、来ません。また、たとえばある種の女性は不利益を避けるための言い訳・弁解・自己正当化・自己欺瞞がひどく巧妙とありますが、私がもし不利益を避けたかったらこういう人には気をつけてなどといちいちお節介なことは書きません。ちなみに私が女性かどうかについてお答えする必要はないと思います。

「あまり読みに来ていなかった」というわりにはあなたはすぐやってきましたね。その前も、更にその前も、なにかひっかかることがあると即コメントがつけられていたような気がいたしますが。

 私はDarekaさんのダイアリーをRSSリーダーやアンテナに登録していないので、何かきっかけがあったときや思いついたときにだけ見ていたと思います。「シタガキコウサテン」で検索したこともありません。今回はDarekaさんのダイアリーからのアクセスが大量にあったので見に行ってみました。その前にもDarekaさんのダイアリーからのアクセスは何度かありましたが、すべてのアクセス元についていつも見に行くわけではありません。
 私のことが書かれていると思ったのはおそらく今回初めてなので、だいぶブランクはあったと思います。『幸福の王子』の話題でDarekaさんのダイアリーから訪問があってリンクに気づいた頃は、何度か訪れた記憶があります。

わたしが「おそらく理解していないと思われる専門用語を使うよりは自分自身の言葉で書いた方が……」などと書いた直後にあなたが「まだ自分自身の言葉で語れないのでやめておきます」などとわたしの言葉を使って読書感想を書いていたり、そういうところがとてもフシギでした

 いま検索しましたが、Darekaさんの過去のダイアリーに「自分自身の言葉」は見つかりませんでした。「専門用語」も、Darekaさんが読む予定の本について知らない専門用語がでてくるので読めていません。という短い記事以外見つかりませんでした。
 「自分の言葉」で検索すると、Darekaさんの4月18日の日記[ひとりごと]ああ、怒っていらっしゃる。その怒りを本業に生かしてくださるといいのですが。自分の言葉で。とありましたね。これは読んだとしても印象に残っていませんでした。「自分の言葉」という簡単な言葉も、何か明示的に引用しなければならなかったのでしょうか。

 なお、私はその日記で「ひまつぶし」のための企画と揶揄されるようなことは当時していなかったと思いましたし、その周辺で怒って書いた記事もなかったので、自分の事とは思いませんでした。自分に向けられたのでないとしてもなんとなくそうした言い方が嫌味に思えて、あまり見なくなったかもしれません。あまり見なくなった時期や理由は、はっきり憶えていません。
 他人はあなたの道具ではないので、あなたの「ひまつぶし」のための企画につき合わせようとしたりというのはいつも面白い日記を書いていらっしゃる稲本さんが、私を勝手に「グリーンのビラビラ追放委員会」副委員長に任命してくださった。今回副委員長としてほんのり活動してみようかと思うのことでしょうか。私が何か他人を道具としてつき合わせたと感じて不愉快に思うのなら、単にそれ以降私の所など見なければよかったと思うのですが。楽しいブログはたくさんあります。
 ちなみに私は4月20日[Web] 虚無感という記事で最後に上の極東ブログの記事は、私の中では『夜と霧』のヴィクトル・フランクルや『死の瞬間』のエリザベス・キューブラ=ロスも関連してくるのだけれど、自分の言葉で書くすべを知らないのでこのへんにしておきます。と書きました。当時もまったくDarekaさんの18日の記事のことは念頭にありませんでした。「自分の言葉で書き表す術を知らない」というのは普通に頭に浮かんだ言葉です。

 Darekaさんがそんなに私の所を熱心に見ていらっしゃるとは知りませんでした。あの、逆にDarekaさんが私の影響を受けているということや、二人とも他の影響を受けているということも可能性としてはありますよね。そうした可能性については考慮なさいましたか。

その他、あの元ネタでも「わたし」の文章で特徴的な言い回しを使っていると思いますが、「わたし」ではない「あなた」はそのことが気にならないのでしょうか。あれは「わたし」の言い回しであり、「あなた」のものではありません。

 その「元ネタ」となっている私の文章については、誰か他の人の言い回しを使わせてもらったとは感じていません。この「元ネタ」についてはごく最近なので明確に言えます。その元ネタを書いた前後には、Darekaさんの文章は目にしていません。[彼方より]つまり携帯から書いていたので、Darekaさんの文章を参考にしながらということもないでしょう。相当考えて時間をかけて書きました。Darekaさんの特徴的な言い回しというのがなんなのか知りませんし、私の言い回しがどういうものか、Darekaさんが全て把握していらっしゃるとは思えません。

 今思いつくのは、私は以前心理学のメールマガジンやWebサイトをいくつか見ていました(ここ1年ぐらいはほとんど見ていません)。ひょっとしたらそのあたりでしょうか。これまで目にした文章が共通していれば私とDarekaさんの文章が似るのも道理かもしれません。そうでなくても、コメントで書いたことの繰り返しになりますが、同じような行動パターンをとる人に困った経験があった場合、同じような言い回しになるのはごく普通のことのように思えます。少し考えすぎではありませんか。


 Darekaさんの言い回しに限らず、他の人の言い回しが心に残って、何かを言い表そうとしたときにぴったりだと感じるその言い回しが出てくることはあります。例えば、今見つけたものでいうと [Web] ネットは「エイジャの赤石」に引用した結城浩さんの言葉たくさんの人が「自分の言葉」を世界に向けて語っている。 それ自体は良くもなく悪くもないと思う。ネットは人を良くもしないし悪くもしない。 ただ、活動を増幅するだけとか。
 ですから、Darekaさんの言い回しが心に残って、そのあとそのちょっとした言い回しを使うような事も、ひょっとしたらあったかもしれません。憶えている限りではありませんでしたが、ご不快にさせた点お詫びします。
 ですが、詳細に記憶をさかのぼって「○○さんの表現ですが」だとか「○○さんの記事に触発されて同感だったのですが」とすべての言い回しについて名前を挙げくどくどしく注釈をつけたりしなくてもよいものだと思っていました。Darekaさんもそんなことは全然なさっていませんよね。
 私は、私が先に使っていた「〜して末世(まっせ)」という表現を他の人が記事のタイトルで使ったときも(あ、気に入ってもらえたのかな。それともたまたまセンスが似ていたのかな)と好意的に見ていました。


何回でも言うよ。その「自分がこれまで言っていたことを"ころっ"と忘れてしまったり

 一見正反対のことを書いているようでありながら、ある観点において自分の中では調和している場合や、自分の感じ方や捉え方が変わる場合はあります。別に自分の考えが固まっているわけでもありません。それら全てを毎回、要望もないのに整合的に秩序立てて説明する意欲や余裕はありませんし、要望があっても説明には限界があります。「矛盾している」という指摘は以前他のかたから別件で受けましたが、いくら話を伺ってもその件については矛盾とは思いませんでしたし、他のかたからは矛盾しているという指摘は受けませんでした。矛盾だと指摘する側が間違っている可能性は常にあります。少なくとも、意識の上では毎回できるだけ局面を限定して書こうとしていることは理解していただけたらありがたいと思います。


 こうした言葉も嘘だ口先だけだ、自分をも欺いていると言われるのなら、もう私はそれ以上の言葉を持ちません。私が人の気持ちも自分の気持ちにもフタして見ない状態だから、気づけというのが構造的にムリだとか自分がそうだという自覚が欠如しているから、言っても効果ないというのが正しいなら、自分では気づかないだけで実際にはそうなのでしょうし。他のかたのご意見も伺いつつ、今後のはてなでの自分の活動のあり方を考えていこうと思います。少なくともお二人に対しては、ご迷惑をかけないためにも、今後はトラックバックがない限りとくに反応しないと思います。

 繰り返しになりますが、今回考え直す貴重な機会を与えてくださった点は感謝します。


 なお、今日はたまたま
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 に偶然出会い、関連してたいへん興味深く読みました。
 私のケースを離れて一般論として考えてみたいかたのご参考になると思います。