まじめ
正直「下品だな」と感じることもあることはあるのですが、そいった下品さや逸脱もfinalventさんの魅力だと思っております。
世の中どうしてまじめな人が多いんですかね。
ひょっとしたら年齢がばれるかもしれないけど、むかぁ〜しZ会の雑誌投稿欄で「まじめ」についてだいぶ議論になってたなあ。NHKのしゃべり場みたいな感じと言えるかな(最初から最後まで見たことないけど)。しゃべり場は全然噛み合ってないみたいなので違うかもしれない。
もちろん(というべきか)Z会なので、まじめを擁護する意見の人が多かったように思う。
で、finalventさんが下品かまじめかということとは一切関係なく、文脈からはだいぶそれるけど、ちょっと頭に浮かんだこと。
どうしてだったか忘れたけど、この手のことを数日前だったか少し考える機会があった。あ、思い出したけどまあいいや。
なんていうか、自分の人格の多様な面をすべてネットの同じWebサイト(ブログなど含む)に表出させなくてもいいはず。これはまあ言うまでもなく当然。
で、もちろん多様な面を表している人もいる。それも別に悪いことじゃない。
私がどうかと思うのは、シリアスな面だけを見せているというかハードな問題に特化しているWebサイトの書き手を指して「くそまじめ」「もてなそう」「ノイローゼみたい」「かっこつけてる」みたいな罵倒が目に付くこと。
強く非難したいとかではないんだけどちょっと言ってしまうと、上のような非難をする人はその自分の発言によって「もてるかどうか」「自分がかっこよく見えるかどうか」に重きを置いているということを言外に自ら暴露してしまっている(程度と場合にもよるが)。つまり、自分が人の目を気にしてるから他人もそうだと思ってるんでしょ、自分の基準で人を判断してるんでしょ、みたいな。
もう一つぼそっと言うと、Web上のリソースに「人間味」を求めすぎじゃないかなと思う。
ネットの情報に事実と違う記載があれば困ることもあるだろう。自分にとって有益な場合も、興味がない場合もあるだろう。しかし、ユーモラスに人柄がにじみ出るような書き方を強いられる理由はない。
淡々と一つのテーマについて継続的に記録していくようなものも確実に必要とされているはずだ。
このあたりをfinalventさんが、言い回しは忘れたけど、一つの問題をスティッキーにねばり強く扱っていくブログ(は意外と重要、ということだったかな)みたいなことをおっしゃっていた気がする。時事的な、流れていく「ネタ」を流行に乗って扱うというだけではなく。
話が逸れているようだけどそうでもない。世の中どうしてまじめな人が多いんですかね。
というコメントを読んで感じたのは、世の中にまじめな人が多いのではなく単に、自分が見ている場は相手にとってユーモアを示す場ではないというだけのことじゃないかな、ということ。面と向かっての場合でさえ、自分が知ることができるのは相手のほんの一部分にすぎないから。
ていうか、頭ごなしに「ふざけてみせたり陰の部分をみせたりしなければならない」「シリアスなことは書いてはいけない」という強迫観念を他人に植え付けるような主張というのは、まあ、うざったいなと思う。
私自身は(ふだんご覧のかたはご存じのように)ふざけまくり。淡々と何かを論じ続けるのも、ユーモア全開で書き飛ばすのもどちらもありだと思っているから、前者をけなす意見というのは私は嫌い。「意見」が「嫌い」、でとどめてそれ以上の人格非難や分析はあえてしないでおこうと思う。
なんというか、相手に笑いが欲しければ、自分が相手からユーモアを引き出す努力をすればいい。それ以上でもそれ以下でもないと思う。
その努力は、意外と楽しいもんですよ。