スポーツナショナリズムへの違和感を感じる自分の感性に対する評価が定まらないことから


ただ、もはやどのようにしても、「ニホン」の応援を我を忘れて行うことはできそうにもなかった。言い換えると、非常に居心地の悪い思いをしながらの観戦になる。

こういった出来事にナショナリズムの匂いを感じ、戸惑ってしまうのは、自分の行為をメタ化した上で、評価を下せていないゆえのことなのだろうと思う。

戸惑ったまま、没頭することも嫌悪することもできず、ただひたすらに居心地の悪さを感じるだけ。批判することも賞賛することもできない現在は、奇妙に宙ぶらりんだ。

同じことを、多くの人が感じているのだろうか。宙ぶらりんのままに。

 たぶん私が感じているのも似たものです。ただ私の場合、そこは軽やかにスルーしてしまいますね。誰かが熱狂的なファンと本人から聞いても、とくにそのことに関して好意も嫌悪も感じない。自分自身は興味がない、というか。

 もう少し言うと、個々のプレイヤーに何らかのきっかけで人間的な親近感を抱くことはあっても、他の私から見て親近感のないプレイヤーで構成されたチームとの関係で勝って欲しいと強く願うことはあまりない。だって私が親近感を抱いていなくても、よく知らなくても、他の国の人でも、好意を持てそうな人は大勢いるだろうから。

 ただ、たとえば学校などの単位で知っている人たちばかりで構成されたチームなら少し事情は違っていて、やはり勝つと少し嬉しかったように思います。「市」や「区」だとその嬉しさがもう少し薄れている。

 だから国というとあまりに抽象的すぎてアイデンティティの拠り所になりづらいのかな、と思ったけど、たぶんそうではなくて、友人が喜ぶと私も嬉しいというだけなのでしょう。

 そう考えてくると、日本チームの熱狂的なファンとの距離が少し縮まった気がするけど、応援するかどうかとの関係で「プレイヤーが日本人というだけで友人、外国人というだけで友人でない」と感じる感覚まではまだ少し遠い。
 もちろん、日本チームの熱狂的なファン全員が文字通り「プレイヤーが日本人というだけで友人、外国人というだけで友人でない」と感じているわけではないのでしょう。

 ただ、うっすらとナショナリズムの匂いを感じることには変わりない。


 で、id:troubleさんのおっしゃる「居心地の悪い思い」というのがポイントになってくるのかなと思いました。

 エキサイトして応援している人たちのそばで「自分は興味ない」と受け取られる言動をすることの後ろめたさ。なんというか、集団への同化の圧力みたいなものはまだまだ物凄いものがあると思う。

 話をいきなり広げると、集団への同化の圧力/同じ感情を共有することの心理的な圧力というのは日本に限らずファシズムの時代でも共産圏でもあったから、日本がとりわけどうとは思わない。としてもやはり、いろいろな事件や見聞きしたことを思い出すとあーあと思いますね。

 意志決定プロセスにおける「集団指導体制」だとか個の責任を追及しづらいシステムだとか、結果として集団としての独善性とか言い出すと話があちこちに跳びすぎるしサッカーの話からずれすぎるのでやめておくけど。


 まあでも頭悪そうに進めてみるか。紳助にしろ、あびる優にしろ、血液型のTV番組にしろ、オレンジレンジの「盗作」にしろ、何かに対し抗議する・アンチテーゼを立てるということはよってたかっておとしめられ罵倒され人間性まで否定され独善的と言われること(いえ、私がそうされたということではなく、そうされる人を見ていての話)。
 しかしその「面白ければなんでもいいじゃないか、なんでそんな不愉快なことを偉そうに言うんだ」と声高にいう発想こそが独善的で自分「たち」の論理が無前提に正しいと思っている発想かなと。

 違う意見をいう「こと」が、というよりも意見を言う「人」が意見を言うということだけによって排除されないような社会になったらいいなあというのはまあ夢想にすぎませんが。

 当の発言の内容(やその影響)について冷静にその是非を言えばいいのであって、いきなり相手の人間性に踏み込んで言及したり評価を加えたりするのはやはりおかしいと思う。なぜなら、何かものをいう際には自分の人格がどのように相手に映るかということを極度に配慮しなければならなくなり、結果として誰もものを言わなくなるから。
 コミュニケーションが原始的な感情についてのうなずき合いに終始するなら(もちろんそのようないわば毛づくろいも重要なのだけれど)、インターネットの効用もきわめて限定的なものにとどまってしまう気がする。

 書きながら「圏外からのひとこと」のessaさんの一連の問題意識や語り口などが少し念頭にありましたが、この自分の記事を読み返してそれほど似ているとも思えず、また「圏外からのひとこと」のレベルにももちろん達しているわけでもありませんのでアシカラズ。