死者への負い目は人を強く優しくする、かもしれないこと

Amehare MEMO:IWさんのこと


 あとで少し書きたいと思って浮雲でクリップしていたのだけど書けないでいた。IWさんという方へのAmehareさんの追悼文。

 死者への思いはそれぞれのごく個人的なものなので、論評を加えるようなことは避けたい。ただ、Amehareさんの記事を読んだことをきっかけに私自身が思ったことを書いておきたい。


 私は10年前に友人を亡くした。具体的なエピソードはここにはさまざまな理由で書けないけれど、突然の訃報に接して以来、ちょっとしたいくつかの思い出がときどき心をよぎる。

 なんというか、自分によくしてくれた死者への負い目のような感情は人を腐らせる場合もあるのかもしれない。感謝していても、もう本人に何もお返しすることはできない。死んでいるから。

 けれど、何か重荷を負わされているように感じるのではなく、支えられているのだととらえることができれば、過去の死者への負い目はむしろ今を生きる力の源になる。

 ナイーブな話になるので自分の筆の拙さを申し訳なく思うが、行き場のない感謝を自分もまた他者への善意として表すことができれば、それはとても幸せなありようだと思う。

 あまり大きく呼ばわるような話ではないのでためらいはある。しかしそのためらいは常に感じつつも、あまり偽善という言葉で自分を縛らずに書いた方がいいのかもしれないとも思う。