現在

 なんとなくポエム的に - finalventの日記

 過去のいくつかの重大な分岐点(のように見えるけれど、実際には"ああでしかあり得なかった"と思えるもの)を振り返って、現在の自分の在りようというものの不思議さにうたれることがときどきあります。
 その不思議さの中で、現在進行形のいくつかの重大な分岐点のようなものに向き合うとき、「今」を私に感じさせるのは、たとえばドラッグストアの店員さんの、職業的なもの以上のちょっとした配慮。たとえば帰り道、家の前で鍵をとりだしたときに感じる夕方のかすかな風。そのときどきの記憶。


 「今を生きる」というのは陳腐化した表現だけれど、この私の意識が何かを決断していくのはまさにこの瞬間、この記事の読者がこの文字を読んでいる瞬間。その「今」という瞬間においてしか、現実に働きかけられないし、その行動によって自分を規定していくことはできない。

 別に何かを積極的に行なわなければならないとここでいいたいのではなくて、ただ単に、そういうものなんだなあと先ほど思ったのをここに書きとめておきます。