「正義」と呼ばれる誤った考え方


 こどもと言葉と世界のルール - Ohnoblog 2の、


こどもは物心ついてしばらくすると、大変に「正義漢」になる時期があるように思う。
 という部分を読んでどきっとした。というのは自分に当てはまると思ったからでなく(私についてそう思っているらしき人もいたが)、(あの「正義漢」ぶりはまだ幼いからだったのだろうな)と思い当たる人がいたから。「正義漢」といっても女性。ネット外の話。今はどうしてるか知らない。


一番難しいのは、その「正しさ」で自分を裁くことだ。

 そうだろうと思う。そして、その「正しさ」の前に自分が立てないと気づいたとき、その「正しさ」が自分にとってあまりに過酷だと気づいたときに、願わくはその「正しさ」をかたくなに維持してその人が「悪く」なったり「だめに」なってしまうのではなく、その「正しさ」がじつは誤っているということに気づきますように。

 善悪の基準をなあなあなものに妥協するのではなく、行為の善悪とは別に人の弱さを理解しつつ、自分がおかれた立場でどう行動することが、どう影響していくのかを俯瞰する視野をもって、長期的に、プラグマティックに、ユーモアをもって行動できますように。