匿名とか自分のエゴとか

 そういうことを書いているかたがいたので、これまでの自分の考えをいくつか拾ってまとめてみたくなった。

 話題は、自分の記事にリンクされる際、ブログ名や自分のハンドル(ネーム)がリンクとともに明示されるかどうかということ。(以前別の話題でそのかたと違う考えを書いたら、どうも気分を害されたようできつい当てつけに読める記事を書かれていたので、今回はリンクしません*1。)

 で、今回の話題について私の考えはというと、自分の記事にリンクする際には自分のブログ名やハンドルを付記してもらいたい、だなんてまったく考えたこともなかった。

 たとえば今年の2月に書いた記事、糸井重里『合コン・宴会芸大全』に載っていない、使える「ネタ」をご紹介します - 夏のひこうき雲から。



 この記事を見た皆さんが思い思いの場で試してご覧になることで、こうしたミームがのっぺりと広がっていき、私という存在が匿名性の海に埋没していくことを希望しています。

 前からずっと、「本来とは違う意味でのオブジェクト指向」というような概念を提唱しかけてはそのことを忘れるんだけど、要するにそんな感じ。引用した記事は冗談について書いた冗談だけど、中身については大まじめでそう思っている。「こうしたミーム」の中身はそんなことじゃないけど。

 ある小さなこと、しかしとても大きなことの達成に寄与できたので、もう死んでも悔いはないけれど、命がある以上まだこの世で働けということなんだなと思って、その後も地道にあれこれ励みはじめてから1年と数ヶ月ぐらいです。

 関連性がわかりづらいとは思うけど、リフォーム詐欺対策としてステッカーのようなものはどうだろう - 夏のひこうき雲にかいたような考え。



 ただ、ゲーム理論というか囚人のジレンマ的に考えても、他人を踏み台にして何か利益を吸い取ろうとするプレーヤーはどんな社会においても必ず存在する。リフォーム業界がそういうグループとどの程度関係が深いのかよくわからないが、仮にリフォーム業界についてそういうリスクを防いだとしても他の種類の詐欺は必ず出てくるわけで、「現状よりも少し、そういう悲劇を減らす」という構造的な改善はまた別個になされるべきなのだろう。社会全体として減らすことがはたして可能かどうかは疑問に思う。(よくしらないけど、ベンサムのいう「最大多数の最大幸福」というようなものの総量は人為的に増やせないものなのかもしれないというような意味。まあこれは今の気分的な問題もあるんだろうし、大きく間違っていると現時点でも思う。)

 だとしても、できる範囲では、最大限に、何か対策ができればよいと思う。できる範囲では。

 ……あまり話を広げずに、今回はそんなところで。

 こういう記事もおそれずにアップしていった方がなんだかいいような気がするので、アップ。

*1:モヒカン族が言及先を明示しなくなるのはこういうプロセスなんでしょうね。