天声人語を今書いているかたは

 社説の文章を書いているかたと同じような気がする。社説の内容は合議により決まると以前(朝日新聞に)書かれていたが、独特のユーモアで締めるようなセンスが同じだと感じる。今日の天声人語がどうということではなくて、少なくとも一週間前ぐらいから感じていること。

 最近は社説はほとんど読んでいないので、今の社説はまた違うかもしれないが。

 最後にうまいことをいって他人を皮肉ってみせて終わる感じが好きになれない。しかもそのために無理な比喩を用いるので、物事の実態と乖離していることが多い。
 大学入試でああいう語り口の天声人語を使うのはやめてほしいなと思う。

 そういうところ以外でも、書きっぷりがなんだか感性が若いというか。読んでいて、ブログを読んでいる感覚に近いときがある。それは別にいいのだけど、あれこれ引用しすぎだったりとかすると、がっかりしてなんだか朝日をとるのをやめようかと思うときがある。朝日新聞を代表するコラムがそのクオリティでいいのだろうか、朝日新聞社は。

 私などが天声人語に文句をつけるのは僭越ということを承知で書くが、もっと淡々と書いたらいいと思う。毎日書かれるコラムに読者は練りに練ったような巧さなど期待していないし、無理に巧さを出そうとするとあざとくなる。

 目上とか目下とか気にせずフラットに書けるのがネットのいいところ。