finalventさんへのお詫び、それとモラルについて


 極東ブログ: モラルの低い人を傍観する時を読んで、ずっと気にかかっていたことを思い出した。


>内戦は所詮、当人同士が摩耗するまで殺し合えばいい。テロもまた拡張された内戦と見れば、摩耗するまでやるしかない、ということになる。

これがfinalventさんのご意見なのかどうかよくわかりませんでしたが、国家や民族という大枠で見て、実際にこういう主張をしている人もいるようですね。勝手に喧嘩させておくしかない、みたいな。そういうやむを得ない面も大きいと感じます。
しかし巻き添えになる人々の中で子どもについては、弱いというだけでなく、そのような状況を作りだした責任を一切負っていないのでいっそう問題です。
その犠牲をその国家や民族に生まれたという「生まれ」だけによって容認するということには抵抗を感じます。

 と、2004年9月7日に書いた。お返事を頂いて気づいたのだけど、実際にこういう主張をしている人もいるようですねというのは極東ブログで読んだということを忘れていた。極東ブログ: [書評]戦争を知るための平和入門(高柳先男)
 書いた時の意識としては、著者の高柳先男のことを念頭に置いていたのかもしれないが、いずれにせよ、文脈からいって失礼な当てつけとして機能することを考えていなかった。


 そういう皮肉っぽい当てつけのような書き方は失礼だと思っているので、意識的にはしたことがないし、これからもしないと思う。

 finalventさん、その節はたいへん失礼なことをしてしまいました。お詫びします。


 なぜ上のコメントのことを思い出したかというと、


他国人を嫌悪する根拠も偶然的なものだし、親がいて大人になれたというのも偶然に近い。別の偶然は人をこうのとりのゆりかごに運ぶかもしれない。そうする大人にはモラルが問われるかもしれないが、産まれてきた子供には問われるわけもない。そして我々がその子供でなかったというのは偶然でしかない。偶然のもたらす悲劇に対してできるだけ公平であること、あるいはそうした偶然の悲劇をもたらさないように僅かに試みることがモラルかもしれない、とか、ぼんやり思う。

 という記事文末を目にしたから。


 あんまり連呼したりすることではないんだろうけど、自分の行動や選択の責任として不利益を被るのはある程度仕方ない。だめんずウォーカーから高齢者相手の親切な詐欺まで、(私としてはいいとは思わないけど)本人が納得していれば他人がどうこう言えない場合もある。
 ただ、というところで、最初に引用した私のコメントのような。


 あと、なんというか子供は親に従属的な存在と考える人ならこうは考えないのだろうと思った。妊娠中絶とかとも絡むけど。