朝日新聞連載「ニッポン人脈記」の〈ありのまま 生きて〉シリーズがよかった


 忘れないうちに、と思っているうちに何度も忘れていたけど急いで今回は書いておきます。


 朝日新聞の夕刊に掲載されているasahi.com:ニッポン人脈記という連載をなんとなく読んでいます。毎回ではなく、読まないままになる日もあって、その程度の関心。

 でも、〈ありのまま 生きて〉というシリーズはたいへん楽しく、夕刊を読み逃さないようにして読んでいました。
 「楽しく」、というと不謹慎かもしれない。と思わせるような何かとも戦って生きている人たちの生活を知ることができて、興味深いシリーズでした。

 シリーズ1回目だけはネットで読めます。asahi.com:「また失恋」友の指点字 - ニッポン人脈記

 今回読み返してみて印象に残った部分を引用します。


 04年末、福島は国の審議会で、障害者自立支援策について直言した。「自己負担は、無実の罪で投獄された者に、自由になるために保釈金を払えというようなもの」。その言葉に勇気づけられた人がどれほどいたことか。


 真骨頂は、無念や怒りを挑戦のエネルギーに変える底力、そしてユーモア。「未知の惑星に不時着した。音もなく何も見えない。どうやって生還する?」。極限にいる自分を眺め、おもしろがる。幼い頃からSFと落語が大好きなのだ。


自殺、を思ったことはないのですか? 「それはないです。あわてなくても、いずれみんな必ず死にますから。あせる必要ない」


 障害のある人たちのありようは社会を映す鏡だ。彼らを片隅に追いやる社会は、もろく、貧しい。困難におしつぶされず、人生をきりひらき、社会を変革しようとする人々がいる。たずね歩きながら私は思った。生きるって、なんだろう?


 引用部分はどうも文章全体の雰囲気とはずれますが。


 このシリーズを担当されたのは生井久美子さんとのこと。何の気なしに検索したら、こうしたテーマで何冊か書かれているんですね。
 障害者を何かしらただ偉い人として祭り上げる(同時にそれによって「普通じゃない人」として疎外する)のでもなく、もちろん馬鹿にするのでもなく、淡々と書かれている視点はこれまでの取材と執筆の経験から培われているのかもしれないといま思いました。

 「校長先生のいいお話」とかそういう味わいではなくて、単純にそれぞれの人の生活や経緯、やってきたこと、ちょっとしたエピソードを興味深く読ませていただきました。


 新聞の連載は媒体の特性もあって、連載が終わればそのまま忘れ去られていくものが大部分なのでしょうけど、このシリーズのことは書きとめておきたいと思っていました。

 本当は連載中に書いておきたかったのですが。