ズーニーさんの考える「愛」は間違っている


 山田ズーニーさんが以前書かれた「愛」に関する一連の文章について、きちんと批判するべきかずっと考えている。


 それぞれリンクのURIでわかる通りもう何ヶ月も前に掲載された文章。ズーニーさんの考えはその後変わっているかもしれないが、私は何もズーニーさんという人間を非難したいわけではない。多くの読者を巻き込んできちんと記録として残されている考え方・価値観(大げさに言えば思想)には、こちらもきちんと言葉で向き合って異論を残しておいた方がいいような気がする。


 とくに最後のまとめはまったくおかしいと思う。


「おとな」になるっていうことは、
自分に必要な愛は、自分でとってきつつ、
ちゃんと自分から愛を注ぐ対象を見つけ、
そこに必要な愛を注いで、
細々とでも、それを、
循環して続けていけるっていうことだ。

おとなになるって、やっぱりすごいことなんだ。


 それは全然違うよ。このテーマの最初の文章「Lesson262 連鎖」で既に引っかかりを感じていたが、このまとめ方で違和感がはっきりした。

 だが数ヶ月もずっと書かないできた。

 (きちんと批判するのは大人げないかな)という気持ちと、(いや、ありがちでしかも現代の日本社会に重大な害悪をもたらしている考え方だから、ズーニーさんがどうこうということでなく書いた方がいい)という思いの間でずっと迷っている。

 この件はcatfrogさんのアール・ブリュットの記事とも絡むんだけど、話が込み入ってくるので何回かに分けて書きたい。


 ともあれ、愛という概念は(半ば恣意的に)さまざまな意味に転用・誤用されるだけに、できるだけニュートラルに見つめないと、よくある情緒的なレトリックに(そのレトリックを使う自分自身も)流されてしまって、ひどく不当な結果を招きかねない。