団塊のナッツの後に闇来たる

 テーマパーク4096に以前こんなコラムがあった。許可を頂いたのでここに掲載します。

■ 02/02/07

 スニッカーズを食べた。

 「おなかがすいたらスニッカーズ」とうたっているだけあって、かなり濃厚な食べごたえ。チョコの甘いかおり、なんだかわからないベトベト、そしてナッツが他のお菓子では得がたい濃密な食べ応えを与えてくれる。

 しかし食べ終えた今となってはどうだろう。ナッツが充実していた分、もうそこにナッツのないかなしみが襲ってくる。パッケージに書いてある「ナッツぎっしり確かな満足」というコピーもむなしく見えてくる。

   ナッツぎっしりでも不満足
   ナッツはいいけど焼肉も
   ナッツ食べ満ちた心に迫る闇

 最後のなんかは意味なく五七五になっている。言ってることはナッツなのに。

 この「ナッツぎっしりでも不満足」というフレーズがなぜか私の心に焼き付いている。*1


 少し真面目に書くのだが、たいらげてなお飽き足りぬ心。満たされたという快感の空虚さに気づくと同時に、ひたひたと押し寄せる闇。歪んだ笑みを浮かべる唇。死という潮は遙か向こうの沖から満ちると思ったが、じつは浜から満ちてくるのだ。


ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。の「Lesson233 生きる実感」をも思い起こした。

それは、ほんとうに素晴らしい。
でも、歓びはほんの一瞬で、
無我夢中、
自分でもどこか信じられないと思っているうちに、
あっという間に過ぎてしまう。

無意味感は、
日常のおもわぬところで口をあけてまっている。
やりがいのあることがやれた、と強く思ったあとほど、
出くわす無意味感は大きく、
足をからめとられ、飲み込まれそうになる。
たぶん、一生、こんなことをくりかえすのかもしれない。

もっとも虚無が押し寄せ、
なんにも起きない日常におしつぶされそうになっていた、
あの時間こそ、もっとも自分は生きていたと思う。
あれが、命を燃やすということではなかったろうか?

あなたにとって「生きる実感」とは何だろう?

 ナッツを食べた心に迫る「闇」は、この虚無感をも含んでいるが、おそらくそれだけではない。この闇はおそらく悪をも内包している。というよりも虚無感と悪はごく近しいのかもしれない。と、ゲド戦記をまた思い出す。


 …稲本さんの日記を見て法師丸さんのコラムを思い出し、おかしな文章を書いてみようと思ったら意外な方向に膨らんでしまったが、「おとなの小論文教室」の山田ズーニーさんを嘲笑しているわけではなく、「テーマパーク4096」の法師丸さんの文章を馬鹿正直に読んだわけでもないのはご理解いただけるかと思う。


 「おなかがすいたら。おなかがすいたらスニッ カァーズ。」声明のように三べん唱えてありがたく食べてみたい。

*1:あと、ピーナッツの「ピー」の部分が個人的に気になる。いったい何のナッツなんだろう。「いや、ピーナッツはもともとピーナッツだから」と言われても私はだまされはしない。