そういや「顔学会」ってありましたね

 おすましエプロンにもう一つ絡みたいのですがオッケーですか?(部屋の上空にいる斎藤さんを見つめて)。斎藤さんって誰だ。

おすましエプロン - [TV]「ビューティーコロシアム」 19:39


そしてそんな風にブサイクを見世物にしているくせに、それを「綺麗になるための前フリだからいいじゃない」みたいな感じの布に包んで、和田アキ子やゲストも「大丈夫だよ」とか「心の綺麗さは人に伝わるから」とか言っちゃって、悪意に善意を被せて誤魔化してる感じがとても気持ち悪いですよこの皮被りが!

本人の家族や自称「友人」な人が登場して、「私があの顔なら外に出れない」「みっともない」「整形して綺麗になってほしいと思う」なんて言ってるVTRを見ると、もういいからあいつをブロック片で殴りつける許可を私によこせ、いくらだ、いくら払えばいいんだ、と頭をかきむしりたくてたまりません。嘘でもいいから「映像はイメージです」とか「ヤラセです」とか書いとけと言いたいです。番組の最後に「この番組はフィクションです」とかでもいい。もう手書きでいい。

 長めに引用したのですが、おすましエプロンは鋭い文明批評のチクリとした針先を饅頭のおいしい皮にくるんで面白ポエム風味で届けてくださるので、ご面倒でも毎度ちゃんとリンク先に読みに行かれた方が吉です。


 以下少し話がずれるかもしれないけど、ううん、ずれないと思う左近そう思う。

 なんつうか、「自分は貧乏だからだめだ」「病気だからかわいそうだ」「ぶさいくだから生きていても楽しくない」「学歴がないから成功しない」「能力がないから生きている価値がない」とくよくよ悩んで自分を憐れんだり嘆いたりする人は、ひどく失礼だと思う。
 だれに失礼かって?他の貧乏な人や病気の人、ぶさいくな人、学歴がない、能力がない人。

 つまり、「貧乏だからお前はだめだ」「病気だからあわれな奴だな」「ぶさいくだからお前は楽しくない人生を送る」「学歴がないからお前は成功しない」「能力がないからお前は生きる価値がない」と、他人に烙印を押していることになる。明らかに間違ってますよね。不当というだけでなく、事実に反している。

 自分がこういう境遇にあるから自分はだめだ、と決めつける人は、それと同時に、同じ境遇にある他の人を「だめ」と決めつけているわけです。


 もちろん、「あいつはこうだから(こういう属性を持っているから)だめだ」と、最初から(自分でなく)他人にレッテルを貼って罵る人は元より論外。
 ただし、「こういう行動をしてはいけない」と考えることはもちろん許されるでしょうね。


 で、顔だけど、キャロル・マッジオという人のフェイササイズの本で、フェイササイズやる前とやった後の写真があきらかに違うので、自分の表情が気に入らない人やもっと美しくなりたい!人は試してみたらいいと思う。*1

 面白いので私もたまにフェイササイズやってみるのですが、見ている人いわくその場で即変わっているようなのでビクーリしています。うちの母に勧めたら、母の顔がなんだか明らかに若返ってきました。母もそんなに熱心にやってないみたいなのに。
 そんな程度で解決できることなのに悩むのはあほらし。
 そして、解決できないことについては、悩むのはやっぱりあほらし。

*1:余談ですが、フェイササイズで検索してこられる方が多いので、以前間違えて四部構成を三部構成と書いてしまったのが心苦しい。後で訂正の記事書いたんだけど、元記事もわかりやすく訂正しよっと