虚無感

極東ブログ: [書評]がんから始まる(岸本葉子)

 先ほどの記事を書く際極東ブログを「ワイル」で検索したら、この記事が出てきた。探している情報とはあまり関係がないなと思いつつさらっと読んだけど、そうですね。


 「がんから始まる」に話を戻して、私にとって特に貴重だったのは、次のように若くして死病に向き合う心のありかたの記述だった。この言葉自体は、普通はたわいなく聞こえるのかもしれないが深く共感した。


日頃の私と接する人は誰も、私がこういう、死と隣り合わせの虚無感を抱えていると、想像だにしないだろうなあ(*2)

 「死と隣り合わせの虚無感」というものは、おそらくそれがわかる人とわからない人とに決定的に分かれてしまうだろう。もちろん、岸本も、がんの経験がない人にはこの気持ちはわかるまい、というような考えはきちんと退けている。がんだからということでなくても、この生きているという実感を奪うような虚無感に浸されてしまうことがある。自分にはもう未来なんていうものはないのだという思いが、いつでも、なんどきでも、笑っていても、それはそこにある。我を忘れていても、その虚無感が私を忘れていない。目の前の現実よりも強固な感覚として、実在の感覚を消耗させ、奪っていく。それから逃れることはできない。そういうことがある。ゲド戦記のゲドと影との関係のようなものだ。それと向き合い、ひとつになるしかないなにかなのだろう。

 「それ」がわからない人には単に気の滅入る話でしかないかもしれないけれど、「それ」がわかる人には、それを感じるのは自分だけではないという慰めにはなる。
 ふだん参考にさせていただいたりお世話になっている遠慮からあまり書かないのですが、finalventさんの言説や口ぶりの一部には強い違和感を覚えることもありますし、正直言ってあまり人にすすめるブログではないかもしれないと思うことがあります。それでもこうした記事がWebに存在するというのはたいへん貴重でありがたいことです。

 上の極東ブログの記事は、私の中では『夜と霧』のヴィクトル・フランクルや『死の瞬間』のエリザベス・キューブラ=ロスも関連してくるのだけれど、自分の言葉で書くすべを知らないのでこのへんにしておきます。