無題

ITmediaニュース:スマトラ沖津波は神がもたらした――米国人の4分の1が信じ、日本人は信じない

 日常生活で宗教が大きな意味を持っていない日本においては、津波が神の行為であるとは考えられていない。細かく見ると、日本の仏教徒のうち、神の行為であるとした回答は約6%、キリスト教徒の場合は約23%だった。

 「日本人は宗教に対して実用主義的なアプローチを行っており、そのために津波地震といった自然災害によって宗教に向き合うことがない」と、ワシントン大学で国際関係学を専門とするドナルド・ヘルマン教授は説明している。

 片隅の幸福[diary]宗教がらみ。という記事経由で、上のニュースを知った。へえとか思っていた。今再読して、仏教徒のうち、神の行為であるとした回答は約6%って!?と思った。津波を「神の行為」とする仏教徒って。その仏教徒の言う「神」ってなんだべさ。
追記:調査した会社のニュースリリース(英語。http://www.worldpoll.com/press_room_wppk_pr.phtml)も見てみたら、国別にはっきりした表があった。ページ中ほどに国名からのリンクで画像ファイルにされている。やはり"God"で尋ねているみたい。この質問文を和訳せずに調査したのかどうかは分からないけど。

 で、今日finalventさんが日記で触れていた。スマトラ沖津波は神がもたらした――米国人の4分の1が信じ、日本人は信じない

日本人にとって宗教は「薬」なんで、効けばどれだっていいのだ。身体の悩み、心の悩み、たちどころに治りまっせ=宗教。

 たしかに日本での宗教とは、信じる者にとっても信じない者にとってもすなわち御利益宗教なんだろうなあ。世界観やパラダイム、哲学とすら切り離されて理解される。

日本人は中華思想を受けておきながら、天子=天皇が悪いからだとは考えない。天子を入れ替えるという発想がない。天皇が自然=天と一体であり、自然であることはよい。というわけで、天災というのは日本の心的世界にはない…のだろうか?

 日本では、現代なら、なにかと小泉が悪いから一歩進んだ考えとして出てくるのが、「人災も天災も存在しない、心頭滅却すれば火もまた涼し、苦しみは自分の心の内だけにある、今のこのひとときをただ楽しもう……」と刹那的な快楽に逃れようとする独特な無常感になるのかな、とこれは半分冗談ですが。


 あと、その日のコメント欄から、ある国際的な問題の根の深さを思い出して少し気持ちが沈んだ。ああ。
 よく知りませんが、日本からもよく行くみたいですね(ツアーなどで)。旅行なさる男性は誤解されないように、とだけ。あ、これこそ、「あえて書かない、書けない」話題だな。