吉野弘「夕焼け」

 バスというのは記憶違いで、電車でした。googleでの「吉野弘 夕焼け」検索結果

 席を譲ると知って、娘の前にとしよりを何度も押し出すまわりの人たち。娘と同じように腰を下ろしているが、とくに何もしない(詩の中では触れられていない)若者。席を譲られても礼も言わずに次の駅で降りる年寄り、礼を言って降りる年寄り。そして、一度席を譲ったために暗黙のうちに何度も強制されていく娘。


二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に。
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をギュッと噛んで
身体をこわばらせて−−−。

 周りの目は娘を責める形になる。同時に、娘も自分を責めている。


やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。

 娘はどこまでゆけるだろう

 ただ、娘は見ていないけれど、娘には美しい夕焼けがある。それはわずかに差す光明だ。同時にその美しい夕焼けは、娘の心の美しさとその車内の状況のかなしさをも照らしている。


 自分を重ね合わせるようなことではないけれど、世の中にはそういうことがある。