書かない、書けない
下の記事や他の記事を見ても、あまりに話題に脈絡がないので、本気でなんかジャンル毎に切り分けて分祀(笑)しようかな。神々はこれを惜しんで星座にした、というあれですね(とまた少し話をずらす)。んー、どっか他のブログを使ってひっそりと(やる気がないからたぶん切り分けないけど)。正直、最近アクセスがだいぶ多いので。
うーん、もっとこぢんまりとやれるかと思った。もちろん言及してくださっているのはとても嬉しいし、大きなブログにコメントやトラックバックをしていながら何でもごたまぜに書いてる自分が悪い。いっそSNSの向こうを張ったロンリィにでも書くか*1。
あと、読んでいて「これ自分の知り合いかもな」と思われた方は、メールフォームでこっそり尋ねてやってください、お願いします。知り合いのうちの誰であっても、喜んで返信しますので。だまって閲覧されるのがいちばんうす気味わるい。ひこうき雲のようにいつでもひょんと消ゆるや(おどし)。
いま元の詩を検索してたら「竹内浩三という詩人」これよかった。
竹内浩三にとって“生きる”とはすなわち“書く”ことであった。手紙も詩も日記も“書く”という同一の行為であった。彼はその行為に命をかけることによって、自己を地獄の状況から救い出し、人間的真実を守ることができたのである。
その心情に共感する、と簡単に書いてしまってはいけない気がする、また私がそう書くと誰かを傷つける可能性があるのもわかっている。ってどこまで優しいんだ私は(←ここは爆笑するところですヨ←ここはおばあちゃん風に、手で「ちょいとアンタ」とやりながら)
もうなんか読み手に心配させることすら申し訳ない、と思うのは傲慢か?とループ、袋小路実篤さね。
ごくごく個人的な事柄からアフリカで行なわれ続けている大虐殺まで、人間的真実を守る
のはなんて難しいことだろう。