私はどこで線を引くのか/引いた外側についてはどうするのか(書き途中)

 何よりもまず、強姦や暴力に苦しめられ殺されていく人々のために何ができるか、それが最重要という点は外せません。そしてダルフールではすでに30万人死亡しているかもしれない。この死んだ人たち、そしてまだ殺されていない人たちのために何ができるか。あるいは、何をしているだろうか。何をしないのだろうか。

 現状、日本はほとんど何もできていない、全体としてみれば「関心すら持っていない」とさえ言っていいように思う。では現状をどうするか。国内で新潟の震災へ向けられる善意と、ダルフールへの無関心についてどう考えるべきか。

 単に国外への無関心を責めたいのではけしてなく、また単純に比較したいわけでもない。中越地震を自分の話のだしにはしたくない。ただその全体としてのありようについて色々なことを思う。
 また、「ご飯を残さず食べなさい、今こうしている間にもアフリカでは子ども達が飢えているんだよ」式の紋切り型の説教では、今どき笑い話にもならない。


 こうした点について少し丁寧に自分の考えかたを書きたいので、この記事はしばらく編集を続けます。


スーダン・ダルフール危機情報wiki - スーダン政府はまだ迫害を続けている
 日本でもマスメディアが次第にこのダルフール危機を取りあげるようになってきたので少し安心していたのだが、事態は改善していないようだ。

スーダン・ダルフール危機情報wiki - スーダン政府虐殺関与の証言(BBC)

キャンプの難民たちは傷つきやすく無防備な状態におかれており、本物の恐怖を感じている。私と話をした人全員が親政府側のジャンジャウィードに村を追われており、レイプや殺人を目撃していた。

早朝の暗い時間、サーチライトを点けたジープが近づいてくる。ジープの連中にはわかっている──ここの難民には身を守るいかなる手段もないということを。このときの状況を言葉で伝えるのは本当に難しい。

私は21年間アフリカの報道をしてきて、この目であらゆることを見てきたと考えていた。だがスーダンのような国の職員と警察が──つい先日和平協定に調印したばかりだ──国際監視団の眼前で人々の家を破壊し、国際法に違反する事態はまさに並外れており、類のないものだった。

地域住民は恐怖し困惑している。そして国際社会の力にはほとんど信をおいていない。

  • 善人の無関心ほど罪の重いものはない(キング牧師の言葉だという。要確認)
  • 善きサマリア人のたとえ
  • 日本人の寛容とは単なる他者への無関心ではないか、ひいき目にいって理解の放棄ではないか(この視点は厳しいし焦点がぼけるので削るかも)
  • 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮澤賢治の言葉、コメント欄で教えていただく)
  • 現実にはどこかで線引きをしなければならない、しかし線引きをしなければならない現実とその悲しみについて自覚的か
  • トリアージgoogle:トリアージ
  • いただいたメールでの議論を許可を得て部分的に転載。遺伝的に近縁、地理的に近い、あるいは自分の知識・能力が活かせる≒自分の助けを求めている(これは少し毛色が違うし表現要検討)といった基準で線を引く、同情する。しかし一人一人が持つそうした基準では結果的に救われない人は?他のバイアスによってほうっておかれてしまう人は?そうした外側の存在にも思いをはせること
  • 共感の能力、ゴリラ、電気ショック(話広がりすぎ?線引きの話と関連させる)
  • 誰かが幸せなら私も幸せだ
  • 私の幸せのために、でもいい、幸せな誰かを増やす