センス・オブ・ワンダー、ではなしに

ついさっきまで何本立てかの夢を見ていた。

目がさめて思う。生まれてから今までを振り返ってみたとき、とくに私が人と比べて数奇な人生というわけでもないのだろうが、今の私がこうして存在し、このような意識として存在していることが不思議だ。

感傷ではなく、うぬぼれや自己憐憫でも(ウォンビンでも)なく、ただ冷静に、不思議に思う。ある意味でやや苛酷ではあった。


遺伝と環境と本人の自由意思の三要素が人間を形成するという。
私自身の自由意思に自分で評価を加えるのは困難だし、まして何がどの範囲で遺伝に由来するかなど知りえない。
しかし環境、あるいは生まれてからこれまでの大きなまた小さな出来事を思い起こし、その時々の自分の感情と行動を振り返ると、他人のような気さえする。ただ、よく理解できる他人ではある。

まったく同じ経験を誰かが経験しても、まったく違う現在の自分でも十分ありえたのだろうと思う(つたない書き方になるがそんな感じだ)。
では今のような私を作り上げたのは何か、というと、顧みるに自分の努力ではない。逆に、人の優しさや冷たさでもない。
偶然と呼ぶのは軽すぎるし、必然と呼ぶには抵抗がある、これを運命と呼ぶのかもしれないがやや語感が重い。
なぜ重いかというと、まだ未来に向かって私は開かれているというこちらも自然な感覚と、運命という言葉の強さは衝突するからだ。


今何かを論じたいわけではない。不思議さにうたれたこの感覚を、私はただ書きとめておきたかった。