読解の速さと投げ出したくなる強さの関係


 いまThe Sapir-Whorf Hypothesisをざっと読んでいます。

 英語の文章をとんと読んでいなかった割には意外と読める。けど、頭の中で逐一音声に置き換えているこの感覚が、ひどく煩わしい…。意識的にバッと先の数語まで目に入れるようにし始めました。しかし引用としてドイツ語の文まで混じってきて、少しやる気を無くしかけてる。

 ページ翻訳で読めば早いんだろうけど、無料の自動翻訳の精度では大きな誤解をするおそれがあるなあ。サピア=Whorf仮説(ページ全体を和訳したもの)を今ちょっと見たら、余計にわけわかんなかった。


 先に進むごとに、一つ一つの言葉に対して自分が抱いている感触の当否を吟味しながら読み解いていくこの感覚は、『風姿花伝』を読んでいるときにも感じたこと。しかしおもしろくはある。

 …The Sapir-Whorf Hypothesisは、こなれた日本語に訳すとカブトガニについての「説明文」(小中学校の教科書掲載の文章のジャンルとして)程度の内容じゃないかな?という気もするので、読み解く感覚自体がおもしろいなどと言っている私はどうかと思いますが。

 では戻って読み進めます。