親指シフト、おすすめします


 夏のひこうき雲 - 親指シフっている夏のひこうき雲 - まだ親指シフっているの続き。


 既にローマ字の時よりも入力速度が早くなっています。それでいて手は疲れない。親指シフグレソル*1、余は満足です。


 あえてデメリットを書くなら、

  • キーを叩く速度自体は、ローマ字の時よりはポツポツ感がまだある。そのせいで、周りの人に「ほれほれ 我がタイピング奥義を見よ!見さらしたまえよ!遠からん者も音に聞け!」と誇示する快感*2が味わえない(その分静かだけど)。
  • 両手が空いている時でないとできない

 というぐらいか。でもローマ字での入力も忘れていないから、親指シフトを憶えたことの弊害にはあたらない(「Alt」 + 「ローマ字」キーを押せば、同じキーボードでローマ字での入力に切り換えも可能だし)。


 最初に慣れるまでが大変だけど、その後は楽しい。全然慣れないうちに、議事録等の速記系ノートを(親指シフトで)とるときには心で半泣きになります、が、ぜひ頑張って習得されると、その後の人生が少し楽になります(同じ量の文章を入力するのに必要な打鍵数が減り、速度が上がるので)。別に焦ってるときにはローマ字で入力しても良いけど、早く憶えるにはしばらく親指シフト漬けになっておくといいっぽい。
 大人になってから新しい学習をするのって新鮮な体験だし、自分を実験台にした結果から、軽くお勧めしておきます。

 ご参考のために、練習のプロセスを記しておきます。(WindowsのPCを念頭に置いています)

  1. NICOLA 日本語入力コンソーシアムの中のページ、親指ソフトウェアライブラリ >>> エミュレーションソフトから、親指ひゅんQというソフトをダウンロードする。現在のバージョンは4.34。
  2. ダウンロードして解凍した親指ひゅんQのフォルダをProgram Filesフォルダの中の適当なところへ置く。スタートアップフォルダにOyaoyaq.exeへのショートカットを置いておく。
  3. 解凍した親指ひゅんQのフォルダの中のoyaq.htmlというファイルを開き、ふんふんと読む。ATOKの人は、oyaq.html中の指示に従い、いったん「標準の言語」をATOK以外にして再起動し、その状態でATOKを(ローマ字変換でなく)カナ漢字変換の設定にしてから、ATOKを標準の言語に設定し直す。
  4. 親指シフト - Wikipediaから、「NICOLA仕様配列」という項目にある配列表の画像ファイルをダウンロードし、いつでも見られるようにその画像ファイルのアイコンをデスクトップに置いておく。印刷するとなおよい。
  5. タスクトレイの親指ひゅんQのアイコンを右クリックしてプロパティの画面を開き、「動作」タブで「NICOLA配列にする」「起動時に設定を読む」「起動時にNICOLA」の左側のチェックボックスをクリックしておく。(途中でローマ字に変えたくなった時は適宜チェックを外す。)
  6. 配列表の画像(または印刷しておいたもの)を見ながら、自分の好きな文章、業務で必要な文章を入力する。ここでくじけそうになるが、むしろそのぎこちなさを楽しむ。
  7. だんだん慣れて速くなってきたことに自分でややうけながら、まだある引っかかりの感覚を、消えゆく幼き日の思い出としていとおしむ。いとおしんでいるうちに次第に消えてゆく。

 あとは基本的にないんですが、私なりのコツを書いておきます。

  • 連続した一連の決まった言い回しを入力することが意外と多いので、意味の区切れごとに、先に頭の中で指の動きをシミュレートすると、早く入力できるし憶えやすい(私は最初はそんな余裕はありませんでしたが)。たとえば、「できる」という決まった言い回しについて。
  • 単にキーを押し下げするというのではなく、入力しながら両手のそれぞれがどう傾きを変えてゆくか、意識して少し大げさに手首も含め傾きを変えたりすると、入力がしやすく速くなる。ホームポジションは守りつつ、しかし、それにあまりとらわれない。(親指ひゅんQではBackspaceが右手の小指、「* : け」と印字されているキーでできるので、ローマ字入力のときよりもホームポジションから手を大幅に頻繁に動かさずにすみます。)
  • アルファベットを入力したい時は、いちいち「半角/全角」キーまで手を伸ばさなくても、親指でポンと「変換」または「無変換」キーを押すと半角アルファベットを入力できる状態になる(ATOKの場合)。ただし、文字を入力中(まだ「確定」していない)ときは普通に漢字に変換する動作になります。平仮名を入力できる状態に戻す時も、同じく「変換」または「無変換」でできます。
  • 左の親指シフトキーは、キーボードの形状によってはスペースキーに設定してもいいですが、初期設定どおり「無変換」キーのままの方がいい気がします。


 そうそう、肝心の入力方法ですが、最初に配列表を見ても何のこっちゃ状態だと思います。
一つのキーに複数の平仮名が記載されていますが、

  • 下の段(下の段に複数ひらがなが記載されている場合は、右下)の文字は、
    そのまま押すと出る
  • 下の段の文字を濁点付きで入力したい場合は、
    〈違う側の手の親指シフトキー〉と同時に押すと出る
  • 上の段の文字は、
    〈その文字と同じ側の手の親指シフトキー〉と同時に押すと出る
  • 半濁点が付く文字、つまり「ぱ」行は、
    キーに左下の文字として記載されている。そのキーについては、
    〈違う側の手の親指シフトキー〉と同時に押すと、当該ぱ行の文字が出るようになっている


 この記事を書くのに費やした休日の数十分が、皆さんの今後の数十時間?を節約するのに役立つなら、余は満足です。

 何か必要な情報が欠けていたり間違いがあったりしたら、どうぞお知らせください。

追記:
 その後の親指シフト状況 - 夏のひこうき雲に続編を書きました。

*1:「シフグレソル」というのはアーシュラ・K・ル・グィン『闇の左手』に出てくる概念です。この記事では、「シフト」という言葉のただの駄洒落として使いました。

*2:もともと私はタイピング音が静かですが

finalventさんへのお詫び、それとモラルについて


 極東ブログ: モラルの低い人を傍観する時を読んで、ずっと気にかかっていたことを思い出した。


>内戦は所詮、当人同士が摩耗するまで殺し合えばいい。テロもまた拡張された内戦と見れば、摩耗するまでやるしかない、ということになる。

これがfinalventさんのご意見なのかどうかよくわかりませんでしたが、国家や民族という大枠で見て、実際にこういう主張をしている人もいるようですね。勝手に喧嘩させておくしかない、みたいな。そういうやむを得ない面も大きいと感じます。
しかし巻き添えになる人々の中で子どもについては、弱いというだけでなく、そのような状況を作りだした責任を一切負っていないのでいっそう問題です。
その犠牲をその国家や民族に生まれたという「生まれ」だけによって容認するということには抵抗を感じます。

 と、2004年9月7日に書いた。お返事を頂いて気づいたのだけど、実際にこういう主張をしている人もいるようですねというのは極東ブログで読んだということを忘れていた。極東ブログ: [書評]戦争を知るための平和入門(高柳先男)
 書いた時の意識としては、著者の高柳先男のことを念頭に置いていたのかもしれないが、いずれにせよ、文脈からいって失礼な当てつけとして機能することを考えていなかった。


 そういう皮肉っぽい当てつけのような書き方は失礼だと思っているので、意識的にはしたことがないし、これからもしないと思う。

 finalventさん、その節はたいへん失礼なことをしてしまいました。お詫びします。


 なぜ上のコメントのことを思い出したかというと、


他国人を嫌悪する根拠も偶然的なものだし、親がいて大人になれたというのも偶然に近い。別の偶然は人をこうのとりのゆりかごに運ぶかもしれない。そうする大人にはモラルが問われるかもしれないが、産まれてきた子供には問われるわけもない。そして我々がその子供でなかったというのは偶然でしかない。偶然のもたらす悲劇に対してできるだけ公平であること、あるいはそうした偶然の悲劇をもたらさないように僅かに試みることがモラルかもしれない、とか、ぼんやり思う。

 という記事文末を目にしたから。


 あんまり連呼したりすることではないんだろうけど、自分の行動や選択の責任として不利益を被るのはある程度仕方ない。だめんずウォーカーから高齢者相手の親切な詐欺まで、(私としてはいいとは思わないけど)本人が納得していれば他人がどうこう言えない場合もある。
 ただ、というところで、最初に引用した私のコメントのような。


 あと、なんというか子供は親に従属的な存在と考える人ならこうは考えないのだろうと思った。妊娠中絶とかとも絡むけど。

男女、母子、『やさしいライオン』


 finalventの日記 - 増田的議論というか告白というかを読んで、ふと『やさしいライオン』を思い出した。まったく存在すら忘れていた。あの「それいけ!アンパンマン」のやなせたかしの作品らしい。

やさしいライオン (フレーベルのえほん 2)

やさしいライオン (フレーベルのえほん 2)


 検索してみたらやなせたかしご本人がコメントされているページが見つかった。一部を引用。


「やさしいライオン」はいちばんはじめにラジオドラマとして発表したものを絵本にした。
 僕にとっては無数といっていいほどの数の絵本やメルヘンを創作し、そのなかから現在の代表作であるアンパンマンも生まれた。
 「やさしいライオン」がなければアンパンマンも絵本化されなかったと思う。「やなせさんの作品のなかでは、やさしいライオンがいちばんいいですね」といわれることが多い。

 絵本ナビ「やさしいライオン」の詳しい情報では「死と向き合う絵本」と分類されている。

 最後にムクムクとブルブルが飛ぶ空の色を今でも思い出す。

 今ではこうした心の動きを冷たく見つめる視点を持ってしまっているし、子供に読ませるのが適当かどうかもよくわからない。子供の時でも、大きくなってからでも、読み手が男性か女性かによって受け止め方は内面では大きく違うのではないかと思う。

 でももう一度読んでみたくなった。


 やなせたかしは、作詞したTVのアンパンマンの歌詞がよく揶揄されるが、人間の内面やその機微を深く洞察している人だと思う。


ただテレビアニメ版では、やなせ本人が「アンパンマンは架空の存在」と述べていることもあり、あえて誕生日は設定されていない
 という逸話からも、キャラクターに対するアニミズム的なトーテム的な感覚からは距離を置いている気がする。そういう感覚で思い出せば、新キャラなんかすぐ作れる、といってTVに出演している時もその場で書いて見せていたあれも、別に自分の能力を誇っているというほどのつもりはなく、キャラクターなんてその程度のものということが前提にあるのかもしれない。