著作権の概念は理不尽


 ネットで書いていることもあって知的財産権と法の分野に関心を持った。昨年いろいろこの分野について読んだり考えたりしてみた。
 まだ紹介してないと思うけど、白田秀彰先生の本も読んだ。

 とてもユーモラスでその笑いのセンスが奇矯な感じさえする方だけど、著書を拝見したかぎり、とてもオーソドックスな思考の枠組みの持ち主だと思う。私はファンです。


 で、何が書きたかったのかというと、著作権法に違反しないようにしようとすると、ネットでの活動はかなり不自由。これ何とかならんもんですかね……。


 画像の紹介も、リンク付きの場合はまず別として、縮小した場合なんかもそれはそれで問題になる余地がありそうだし。この記事ではあえてラフに書くけど、同一性保持権との関係ではけっこう手足を縛られている感じ。


 個人的に問題だなと思うのは、翻訳著作権(による翻訳の不自由さ)とか。これ、海外の報道の紹介の仕方がかなり難しい。事実の報道だからということで許される範囲にも、限度があるし。

 ちなみにはてなブックマークで[知的財産権]というタグを使っているのだけど、これは必ずしも非難する意図でなく、知的財産権が関連するページということでタグを振ってます。(他にはたとえば[日本教]タグがそう。関連するというだけ)

 はっきり書いちゃうと、私としてはダルフール関係のニュースとか、英語を和訳しているページを大いに紹介したいのだけど、厳密に言えば翻訳著作権の侵害になっちゃってるわけですよね。違法性というのは実質的にとらえるべきものだし、私自身は問題にすべきではないと思ってるのだけど、小心者なのとソクラテス的な社会観からは、どうも潔癖になってしまう。(それでもちょこちょこご紹介してはいるんだけど。)

 少なくともダルフール関係みたいな、人道問題について広く関心を持ってほしいという趣旨で公開・運営されている社会的な運動のサイトや映像については、その運動に賛同する目的であって、原文へのアクセス方法が(リンクなどで)示してあり、内容を恣意的に改変しないかぎり、文章や音声を日本語に翻訳することについては、黙示の同意が推認されるものとして乗り切れるんじゃないかと思う。そういうロジックでかなり広汎な範囲について乗り切れるとしても、どうもねえ。

 著作権の世界には中山先生という大御所の先生がいて、「著作権は混迷」「ダメと言ってもネットは止まらない」──東大中山教授 - ITmedia NEWSで紹介されているような活動もされているので、こうした活動によって著作権の概念自体がどんどんとらえ直されることを切望しています。……こういうときに「実態にあった形で」という言い回しをすることに対しては、ザインとゾルレンを混同するなやと思うのがいつもの私の頭なんだけど、著作者人格権のコアな部分が保護されるならば(つまり、誰がどの作品を作ったという名誉が奪われないならば)、改変も含めた利用が促進されるような形で広義の著作権を新たに定義し直してもいいんじゃないか。二次的著作物によるメリットが原著作者にも還元されるような流通形態は可能だと思うし。時代に即して概念を変えろというよりも、現行の著作権概念のもともとのおかしさが、ネットによって浮き彫りにされて明確になってきたんじゃないか。

 以上、あえて不正確な表現も検証せずに書いているので、その程度の雑感として読んでもらえればいいなと思います。とにかく現状のような、グレーゾーンが広いのはいやだな。検索エンジンでさえ違法にならないように海外にサーバーを置いているっていうし、ちょっとそういう事態は異常だと思う。国産検索エンジンを開発する国策プロジェクトなんて前提からして今の法制度の下ではナンセンスになってしまう。