自己実現の道具としての他人


 最初Twitterで書こうかと思った程度の話。


 たま〜に、(あ、この人、対人関係のライフハックを今活用しようとしているな)と感じる人がいる。なんというか、ぜんぜんこちらの話に納得していないしこちらを信用していないのに、懸命に共感しているポーズをとっていたりとか。

 ああいうのは、この交渉術を今活用している!このテクニックで成功する!という、本人の中に閉じたゲームになっていて、じつは相手(ここでは私)という人格的存在は置き去りにされている。

 腹が立つというより、なんかあっけにとられるんだけど、それでは会話の相手の心をつかむ機会は決定的に失われてしまうから、やめた方がいいと思う。

 相手と真摯に向き合うというのは、相手の機嫌をとるということではなく、自分の器の広さをアピールするということでもなく、ただ相手と無心に向き合うこと。まじめに、かつユーモアと愛着*1を持って関わること。

 と私は思っているんだけど、別の極には互いに相手を人間としてみるのではなく自分の道具・手段として利用し合うような関係もあるようで、まあ世の中にはいろいろな考え方の人がいますね。

*1:と、ある種のあきらめも……と書くと話がわかりにくくなるけど