人間のcontentsとか働きかけの姿勢とか


 一冊一冊書いていないが、あれこれ本を買っては読んでいる。読んでいると、他の本が書いていることとの関連性や、一見両立しないように思えてじつはこういう意味で理解すれば矛盾なく理解できる、というようなことを頻繁に考える。
 そうしたことをきちんと書くにはもう少し熟させたいと思いながら、そのままになっている。最近では以下の書籍群の関係を考えた。

 ひとつは、『脳は意外とおバカである』。タイトルや装丁は軽くてよくある感じに思えるのだが、内容はけっこう重い。重いというのは、気が滅入るという意味ではなくて。これは読んでおいた方がいいと思う。じつは対処策もちらほらと書いてあって、もう一度そういう対処策も含めて紹介したい。

脳は意外とおバカである

脳は意外とおバカである

 文章もしゃれていて、書き手のスタンスと巧さにシャッポを脱ぐといった感じ。


 もうひとつは、行動分析学の関係の2冊の書籍。

パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学

パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学

行動分析学入門 ―ヒトの行動の思いがけない理由 (集英社新書)

行動分析学入門 ―ヒトの行動の思いがけない理由 (集英社新書)

 アプローチがどうと言いたいわけではないのだけど、私としてはかなり限定的にしかその価値を認めることができない。というか、かなり限定的にしかその価値を認めるべきではないと思う(と言っても、著者の方々は同意してくれることだろう)。


苦悩の存在論―ニヒリズムの根本問題

苦悩の存在論―ニヒリズムの根本問題


 『苦悩の存在論』から少し引用する。

 いずれにしてもどの場合にも現実は、それが生理学的事実であれ、心理学的事実であれ、又は社会学的事実であれ、単なる結果・所産に縮小してしまう。しかし、単なる結果が認められるところでは指向性を認めることができず、指向性の認められないところでは意味を認めることができない。存在はその意味を奪われる。
(中略)
生理学・心理学・社会学は普遍化によって初めて不当なものとなる。したがってそれらは、すべてを還元すると同時に、また一つの例外をのぞいて、すべてを相対化する。その例外とはみずからを絶対化することである。

 で、他にたとえば先週読んだ本では、こんな本がまた違う角度からちょっと考えさせられる。

まず、ルールを破れ―すぐれたマネジャーはここが違う

まず、ルールを破れ―すぐれたマネジャーはここが違う

 分厚いが構成がしっかりしているのでまあまあ読みやすい。

 文脈を戻して、もっといえば、先週読んだ本ではないが、これも関係している。どういう意味でかというと、戦後日本の成立過程という意味で。

 


 普段よりももっと不親切な記事でした。