愛人を持て


 自分だけを愛してくれる人が私にはいない、というつぶやきをさっき読んだ。ふと以下の話を思い出した。塚本先生というのはおそらく塚本虎二のこと。

勤務先の仕事に生きがいを見出せな くなった青年が塚本先生に悩みを漏らした時のこと。塚本先生は「来ると思った」と言って「愛人を持て」とアドバイス。愛人とは異性の友達のことではない。 ダンテとかルターとか、奥の深い人間のこと。その人物の事にかけては第一人者になるぐらいに研究せよと言われた。至言。


 「愛人」という言葉でさえそのように清い意味に使うその心持ちに触れさせはっとさせることも含めて、至言。

 たとえば余丁町散人さんの「愛人」は永井荷風だとか、そういうのだろうな。


 既にこの世を去っていて自分のことを知る機会などない人のことなら、どれだけ好きになってもつらくはならないんじゃないかと思う。だって「こんなに愛しているんだから少しは私のことを気にかけてよ」などと怒る理由がないから。

 たぶんアイドルとか芸能人にファンが抱く感情とは違うんだと思う。アイドルとかに抱く感情は、見ているとけっこう現実的で生々しい。本人と自分がどうにかなることを夢見ていたりとか。

 というだけでなくて、これまでの長い人類の歴史の中で、個人的に強く敬愛の念を抱くような相手というのが自分にとっていないわけがないし。自分が生きてるたかだか数十年の間に生存期間が重なっている人たちと比べても。
 なんというか、「そのように生きた人が実際にいる」という事実は慰めとなり励ましとなる。もちろんその逆の筋も成り立つんだけど、それは今考えなくていいように思う。