エサウと暴風さん


finalventの日記 - 日経春秋 ああ、恥ずかしいこの無教養

 エサウの話を「価値あるものを軽視した愚か者の挿話」とする、ああ、恥ずかしいこの無教養!

 世の中にこんな美しい話は少ないというほど美しい話なのだよ。というか、この話がわからないでどうしてセム・ハムの世界とつきあっていけるのだろう。


 一般的には、というか日曜学校の紙芝居レベルではエサウは愚か者のように描かれる。finalventさんのおっしゃる意味はわかるような気がするのだけど、率直にお考えをおたずねしてみようかな。と思ったら、id:bow-whoさんが質問されていた。

bow-who 『>世の中にこんな美しい話は少ないというほど美しい話なのだよ。
そう言う読み方は初耳です。興味津々です。せめてヒントでも教えて下さい。』

 そのうち書く予定の記事にbow-whoさんのお名前を唐突に出させていただこうと思っていたんだけど、今お名前を出したことでそのチャンスを失ってしまった(えへへ)。
 bow-whoさんのことは数年前から存じ上げているのだけれど、bow-whoさんのような方にはネットでももっとどんどん活躍していただければ、と昔から思っています。

 クリスチャンはややもすると自分たちのコミュニティの内側である程度完結してしまう傾向があるので(もっともこれはクリスチャンに限らないけど)、少なくとも広い交流が期待できる(はずの)ネットでは、摩擦をある程度覚悟してでも、きちんと切り結び、違う価値観をベタな対話の中で示していくことが大事じゃないかなと私は思っている。matsunagaさんが書かれているように(モヒカン族 - 妄批漢ことのは砦の決戦 - イエス・キリスト、モヒカン族説)、イエスもまたそうだったわけだし。

 その点私などよりも、bow-whoさんのような方のほうがずっと良い働きをなさると思うので、さらなるご活躍を期待していますというのはご負担になるでしょうか。ぜひ☆