次世代「素粒子」としてhasenkaさんを推す


 相変わらずhasenkaさんの日記が面白い。

 どちらかというと短めの文で時事的な話題に触れ、あるエッセンスを突く。「ある」と限定したのは、短めの文なのでもちろんすべての面に触れるのは不可能だし読者としても(そしておそらく書き手としても)そんなことを望んでいないから。

 ところで朝日新聞の今の「素粒子」が私は大嫌い。形だけお上品に振る舞おうと頑張ってルサンチマンの暴発を無理矢理抑えた結果、嫌みが間歇泉のようにあちこちから吹き出てる感じ。
 でも寸鉄というか、発見と味わいのある短文を連ねていくというのが素粒子の狙いなのだろうから、素粒子の「中の人」はhasenkaさんと入れ替わった方がいいと思う。(入れ替わった結果)中の人がhasenkaさんの代わりに日記をはてなダイアリーでつけてる程度のことなら、別にどうでもいいし。

 替わることに問題があるとしたら、hasenkaさんの日記の無責任艦長タイラーぶり。でもそこは

ニュースソースなんて無いよ、脳内妄想、妄想の産物

 と言明されているので問題は容認可能な地点まで軽減されている。というかそもそも素粒子が無責任。


 私のこの記事を戯れ文にとどめるなら上の一文で止めるべきなんだろうけどもう少し。
 素粒子の無責任は、責任者をチクリとけなし続けて民衆の側に立つふり、という無責任なのに対して、hasenkaさんのは便宜的に断言を使いこなして自分の頭の体操、という無責任(つまり責任を負うような主張以前の言葉にとどめている)。


 私は

「洗脳」や「詭弁」といった逃げ道としての過剰かつキャッチーな表現の多用による表現のインフレ化は、オオカミ少年的な言葉の意味の希薄化と、真に危険な本来的意味の洗脳や詭弁を覆い隠す重大な副作用を持つことに留意しましょう

 と以前書いたことがあって、その考えは今でも変わらないけど、それとの整合性を説明するのが難しい。一つの理由としては、正しくロジックを展開しているように装いながら(更に自分の立場を強めるため)反論を予め封じるための逃げ道としてだとか、あるいは興味を引くために激しい語彙を使っているのか。それとも浮かんでくるよしなしごとをそのまま書き留めているのか、といった違いはあげられると思う。言い換えればオーディエンスをどの程度意識しているのか、ということかな。この項いつもながらの余談でした。


追記:
 以下の件はまったく別の話。


 千葉県浦安市は13日、同市が東京ディズニーランド(TDL)で行った成人式についての朝日新聞のコラムが「本市の新成人に対する中傷だ」として、謝罪や掲載に至った経緯などの説明を求める市長、教育長名の抗議文を同社長あてに郵送した、と発表した。
 同紙の10日付夕刊の1面コラム「素粒子」は、成人式について「浦安の新成人。遊園地のネズミ踊りに甘ったれた顔して喜んでるようじゃ、この先思いやられる」とシニカルに書いている。

 共同通信式はTDLで約40分間行われ、そのうち5分間程度、ミッキーマウスなどのキャラクターがショーに出演したってなんだかウィットに富んでる。
 野暮は言いますまい。私がディズニー映画で好きな作品のことは前に書きました。