「日記と感想」から/そのほか


 日記と感想というページをしばらく前から読ませていただいている。一級建築士でもう60歳を過ぎた方の日記だが、例の建築偽装の問題が話題になる前にたまたま発見して以来、パソコンを開く日にはなんとなくページを開いている。教えられるところが多い。無教会派のクリスチャンでいらっしゃるので、クリスチャンでない方が読まれるとときどきの厳しい言葉につまずかれるもしれないが、私には含蓄を持って響く。

 今回以下のくだりを読んでクリップしようと思ったが、はてなブックマークには登録しづらいページ構成ということもあり、ここに引用させていただく。今年12月19日の欄。


●私は○○先生と親しいということで、自分も偉くなったような気持ちになるのは錯覚である●本物は強いて「宣伝」しなくても自然に広まるものだ。●あの太宰治は「日本で、最も信頼できる神学者は塚本虎二氏」という文章があるそうだ。また山本七平が最も尊敬する人物は塚本虎二で、その理由はこの人の言う事はまったく信用できる」という。●「木はその実によって知らるる」。実が木を証明する。

 塚本虎二には以前から興味を抱いていて、じつはたしかこの日記と感想を発見したのも検索「塚本虎二」経由だったと記憶している。確認するとこれ、苦難と神の愛 塚本虎二
 そうした塚本虎二への関心が上の引用箇所で、私の中のいろんな文脈とつながった感じ。なるほどと思った、というのはやや不正確で、出会いというのはこういう事かと思った。

 同時に自分の不勉強を大いに叱責されたようにも感じた。叱責はふさわしい人が行う場合には激励という意味しかないし、この場合まあしれっと書いちゃうけど神さまからの叱責と受け止めたので、喜んで塚本虎二訳などにトライしてみるつもりでいる。ある意味期が満ちたような気もしている。


 話が飛ぶけど、そしてご迷惑かもしれないけど、太宰治の名を目にして今回も真っ先に思い出すのはドロ氏ーのこと。ドロ氏ーにはイメージバトンを回すつもりでいたのに、しばらく前からプライベートモードになってしまって残念。もちろんはてなダイアリーなど書くも書かぬもご自由に気軽になされるのがよいと思うのだけど、読み手の私としては読めなくなって単純に残念に思う。ただもちろんはてなダイアリーなど書くも書かぬもご自由に気軽になされるのがよいと思う。

 あと、ついでで書いてしまうけど、ブログ閉鎖だとかプライベートモード化だとかそういう変遷をここ数ヶ月だけでも多く目にしている。そうした出来事に触れ続けてきた結果、残念に思う気持ちや悲しむ気持ちがやや摩滅してきてしまった、というか、それぞれのかたの理由はわからないので私が何か感情を動かされるのもご本人には迷惑な話かもしれない、という風に思うようになった。そんな風に変化したことがすなわち摩滅したということかもしれない。
 ただ、なんというか一期一会だなと改めて深く思う。一期一会というのは、教訓でもなければ仏教プロパーの思考様式でもない、人に常に愛を持って接することのできる一つの自然なヒントじゃないかとも今思った。
 あんまり愛とかいう柄でもないし、私がネットで「愛」とかいう柄だとすればそれこそちょっと反省すべき事だけれど、もうすぐクリスマスということもあるので、今月中は少し愛などとネットで口走る濃度があがる予定です。