別に書かないこと

 自分の記事には何か足りないというような感覚があって、それはきっと写生文的なものだろうと思い至った。

 たとえば今日(もう日付が変わっているけど、19日に)ふっと思い立って行ってみた公園の雰囲気、踏みしめる道の柔らかさ、通り抜けていく風、少し汚れた看板、そうしたもの。

 ただなぜそういう話題を書いていないのだろうと自分で書いてみると、まあ住んでいる場所などを明らかにしないという姿勢からすると天候や地名は書きづらい。それと同じぐらいに、抒情的な文章への照れ、偽善的と攻撃されることへの疲れもあるのだろう。あとは、……実際にそうして偽善的に自分を飾らないではいられないような心理状態に長く陥っている人も何人か知っていたので(まあ彼らと違って陰で何か悪いことをしているのでなければ何も問題ないし、彼らを非難するつもりもない。それにこう書くことで読み手を過度に萎縮させてしまうことをおそれるけれど)。私はちょっとひねてしまっている、少なくとも公開する書き言葉の上では。

 結果として、日常生活でときおり感じる静かで心地よい感覚といった事柄はこれからもここにあまり書かないでいくのだろうと思う。
 それが正しいと思っているわけでもない。