足軽頭脳パワー

 「若い頃は賢い人を尊敬していた。年をとった今、私は優しい人を尊敬する」みたいな言葉があった。


 ネットではどう見えてるか知らないけど、実生活ではときどき、頭がいいとか優しいと言われる。*1

 ときどきぼそっとそう言ってくれる人たちは嫌味やお世辞を言うような間柄ではないのでそれはいいのだが、そのたびに複雑な気分になる。


 頭がいいと思わせると劣等感を抱かせるおそれがある。
 誰々の親切とはっきりわかるような優しさは負担になりかねない。
 だから、頭がいいとか優しいとか言われると、そう思わせようとしていなかったかどうか自分を顧みる。ネットではけっこう反省することも多い。

 ただ、そういう観点ばかり気にしてひどく迷惑な人になってしまった人も何人か知っている。
だからあまり見え方については気にしたくない。

 大事なのは自分が自分をよく見せようとしているかどうか、ではない。そうではなくなんというか、結果だと思う。

 そして、結果との関係でいうと全然足りないと感じる。むしろちょっと頭が足りない人なんじゃないかと冷静に思っている。優しいというより無神経だし。
 その私の認識とのギャップも、私を複雑な気分にさせる。
 頭がいいとか優しいってどういうことかよくわからない。


 よくわからないけれどそれでも私が尊敬する人はみな優しいと感じる。
 それは単純に優しく見えるということではない。ただ勿論、冷たく振る舞うということでもない。他人を邪険にあしらおうとする人には、敬意よりも憐れみを覚える。

*1:と自分で書くのはどうかと思うが、ここはひとりごとのスペースでもあるのでしれっと書いてしまう。