『ラッセル幸福論』など


教養ある男女はそれぞれ自画像を持っていて、何であれこの自画像をスポイルするように思われることが生じると、腹を立てるらしい。最善の治療法は、一枚の絵だけでなく、画廊をそっくり所有しておいて、問題の事件にふさわしい画像を選び出すことだ。そういった肖像画の何枚かが少々こっけいなものであれば、ますますよい。

 そうそう。『ラッセル幸福論』の中でここがとくに優れているというわけでもないけど、ちょっと思いついて抜粋してみました。

 私はどうしているかなとちょっと考えると、たぶん多すぎるぐらい。まあ「少々こっけいな肖像画」が少々多い。(「少々」「多い」ってどっちじゃ)


 話は飛ぶけど「はてな」は、人力検索での質問者・回答者としての立場からはてなダイアリーの書き手として、あるいはフォトライフといった全サービスにわたって同一のIDでなければ利用できない仕組みになっている。
 このいわば単一のペルソナの強制は、多様な「肖像画」の選択を不可能とは言わないまでも困難にするということを一利用者として実感しています。(id:yukattiさんが少し前に書いていらしたこととも重なりますが)


 特定のキャラクター/人格として振る舞うことを間接的に強いられるのは疲れるときもあるから、「はてな」でたとえばはてなダイアリーを別IDで書くことが正面から認められれば、ワンストップのサービスとしてありがたみが増すことは確実(少なくとも私にとっては)。


 もちろん、こんなこと(多様な「肖像画」からの選択)は本人の機知と立ち居振る舞いで現状でも十分可能なのであって、私自身は日常生活と同じくある程度いろんな面を出しているつもり。それでもやはり、読みやすさのために単純な文体を打ち出すという意味では少しやりにくさも感じる。

 既に考慮していらっしゃるかもしれませんが、上記のような点も視野に入れて今後のサービスの検討に活かしていただければ幸いです。>id:hatenadiary