「恥」、空気、世間


山本七平氏は、日本には「空気」という「まことに大きな絶対権を持った妖怪」がいて、これが日本における意思決定を左右し、非論理的で自滅的な方向へ組織を向かわせると言う。

 essaさんのご紹介を読むと本の中ではさらに深い考察がされているようなので『「空気」の研究』読んでみようかと思う。



問題なのは、「冷たい怒り」のある人です。彼は理解しがたい方法で、微妙に足を引っぱるでしょう。基本的には「社員旅行に反対意見を言う人」を傷つけることで対応する。それは社員旅行を継続するには、よい戦略ではありません。しかし、彼にはそれは問題ではないのです。彼のターゲットは「社員旅行」でなく「社員旅行に反対意見を言う人」です。その人を感情的に傷つけたり混乱させることは、彼にとって手段ではなく目的です。

 これもぜひリンク先に飛んで読んでみてほしい記事です。


 それから、「文藝春秋 3月特別増刊号 特別版」で井上ひさし丸谷才一の対談から。新聞の読者投稿欄の文章についての話題のくだり。

丸谷
 社説への反論なんてまったく見かけない。つまり公のことは論じない。私事について語る。しかも私的、情緒的、抒情的に語るときに非常にうまい。たまに公的、論理的、実証的に語るのがあると、言っちゃ悪いけどわりに下手なんですね。
井上
 そうですね。
丸谷
 つまり新聞の紙面と読者との対話がなくて、常に読者の独白が載る。それが日本人の言語能力なんだと、新聞の読者投稿欄を読んで思うわけです。

(中略)

井上
 これは全てのところで起きている問題でしょう。核家族化で、親子の間でも、夫婦の間でも、子ども同士のあいだでも、話をしない、議論をしない。日本人は何かを恐れているんです。人に文句を言われるのが嫌だということから始まって、何か怖がって自分の中に収めてしまう。怖がっているうちに大きな時の流れで、それは仕方がないという風になっていく。どうも言葉による対話がないというのが、全てを象徴しているんじゃないかという気がします。
丸谷
 もっと言葉のやり取りをしなきゃいけませんね。そうしないと、いつまでもムラ社会のままでいなくちゃならない。何しろ、われわれ日本人は二千年くらい、言葉のやり取りをしてこなかったから(笑)。

(中略)

井上
 日本人は意見を言うと、一気に極端にまで行っちゃうことが多いですね。

 「だから日本人はだめ」論的な勇み足も少し感じる。それでも上の対談はネットも含めて多くの真実を含んでいるとは思う。引用箇所以外も興味深く読みました。


 この文藝春秋増刊号、タイトルは「言葉の力」です。風呂で読む用にしてあるのだけどなかなか面白い。全体を一つのトーンが貫いているなんてことはなくて、それぞれの書き手が自分の考えや思いを書いているという感じ。

 まだ読み途中だけど、今井邦彦の「日本語は本当に曖昧か?」とか、そうそう英語での表現だとかなり遠回しですむ場合多いよなあと思いつつ読みました。

 あと、ルビ(振り仮名)をもっと全面的に活用すればいいという何人かの意見には大賛成。WWWでも、うーんW3C的には扱いが難しそうだけど<ruby>に代わるものを使ったりして……。firefoxでは<ruby>を表示する拡張があるんだけど、位置づけからして標準にはなりえないかな。追記:はてなダイアリーキーワードRuby」によると、XHTML 1.1においては標準の要素として追加されているとのこと。また新しいこと学んじゃったよ(サルの動きを演じながら)。でも全然見かけないなあ、振り仮名。