農村への憧れという幻想、アノミーと倫理

 finalventさんが余丁町散人さんの記事NHK:引きこもりニート・オタクが親を殺す……どうも農村にこんなのが多いに関連して、農村の倫理的な荒廃、とくに性的な面に関して言及されていた

 この話題について私もコメントで雑感と質問を書かせていただいた。

こんにちは。農村と倫理のお話、興味深い話題ですね。だいぶ放言っぽくなりますが、私の漠然とした考えでは、「都会と違って娯楽が少ない田舎では、セックスとギャンブル(とくにパチンコ)に走る」というようなところがあります。田舎のパチンコ屋はやたら豪華ですね。
 …… もちろんすべての田舎がそうではないでしょうけれど、実態としては目を覆うようなものがありそうです。そうした倫理的荒廃を正当化する論理もきちんと用意されているのが厄介ですね。いわゆる「正義感こそ迷惑」「あるがままでよい」みたいな言説の一部がそれだと私は思っていますが、このあたり finalventさんがどう見てらっしゃるかもう少し教えて頂きたいところです。「アノミーの対極の連帯ないし人への希求が倒錯」は、まったくその通りだと思います。〈連帯ないし人への希求〉が倒錯せずに活かされればいいのになあ。またネットという要素がどう影響するかも興味があります。いい意味でのひまつぶし、あるいは文化的装置として機能すればいいのですが。

 これにいただいたコメントからすると、少し私とは別の事柄を想定なさっていたようだ。私は(単純化していえば)早期化しかつ無差別的になった(多様化し人数が激増した)性交渉のようなものを念頭に置いていたのだが、finalventさんはもっと組織的な、かつ曖昧な権力に基づく性を媒介としたシステムのようなもの(うまく言えない)を念頭に置かれているようで、それはそれでなるほどと思いました。きっと地方の闇の実態(の一部)を実際に知っていらっしゃるのだろうなあ。ありがとうございました。

 他の方のコメントとfinalventさんのそれに対するレスポンスも含めいろいろ参考になったので、興味がある方はご覧ください


 なんというか、他のいくつもの残虐で悲惨な事件などを考えても、脳天気な性善説はとれないなあと改めて思った。いろいろ関連することを書きたいけれどやめておこう。