年賀とうざさと携帯更新の気分

 年賀状かあ。

 出さなくてもすむぐらい仲のよい人、出したいけど面倒な人、もう出さない人、いろいろ。いろいろだ。


 って要するに面倒ってこと?

 でも貴重な機会だからな。
昔ほど凝らないけどというかコンビニの絵柄のになりそうだし、ユニークなことばを考えるのもやめる。ひとりひとりに考えるのは楽しいけどつい時間がかかりすぎる。


 紋切り型のことばに読めてしまうとしても、きちんと挨拶を送りたい。


 ここまで書いて、(こういうのも偽善的だといってあざ笑ったり罵ったりしたがる人がいたな)と気づく。ひとりごとぐらい言わせろや。
 まあ罵倒したけりゃご勝手に、だな。私もずいぶん冷たくなった。きっちり論破しないのは温情でもある。もちろん冷たさでもある。


 話がそれた。これ以上義理を欠かないために、年賀状をチャンスととらえ直して面倒さを忘れようと思ったという話。自分で思っただけ。主張とかじゃない。


 わかりやすく書くとどうもノイズが多いな。読み手が増えたせいだろう。いろんな人がいるからな。とまたそれる。


 けむに巻いたりする形の配慮は煩わしいし下手。
 かといってちょい前の切込隊長みたいな偽悪的なポーズには逃げたくない、弊害があまりに大きいから(いまごろになって初めて隊長の名を出したのも、最近落ち着いてるから)。たしかにそうすれば威圧できて道が開くし、アンチヒーロー的な魅力すらかもし出せてかっこつけられるが。隊長の表面だけ猿真似したようなサイトいくつも思い当たるな。人の目を全然気にしてないふりして気どるのは、超気にしてるから。


 空気嫁って圧力がいまだに日本社会に強すぎるんだなきっと。それとも挫折に伴う虚栄心の肥大?無意味にいつもの日本論にしたところでそろそろ終わり。リービ英雄かっつうの。いえ、リービのことは尊敬してますよ。皮肉はできるだけ言わないようにしている、いつも素直に伝わるように。にしても携帯だとなんとなく心のおもむくままに書けるなあ。