ラベリングによってラベリングがさらに有効になっていく

ところで 08:02note of vermilion


 私がこのあたりの言語体系を持ち合わせていないこともあり、歴史的経緯なども含め参考になりました。私の過去の記事だと、[Web][雑記] 左近の心情は左翼に近いだよ[雑記] ハテハテフフーといったテーマを考える上で。(逆に私の記事がjounoさんの記事の参考になるということはないと思います)


 以下、メモ。要約ともなく思いつきともなく。

 「左」「右」と呼ばれる内実にはそれぞれ多様な主義・スタンスが存在すること、立場の多様性の可能性の広がり。シニフィアンシニフィエの乖離、というよりも認識のされ方という関係性の問題。マップの変化とマッピングの変化(のなさ)。なんか少しでも極端に見える立場はテロリストと同じカテゴリーにくくりだして同質なものだけが残されるという過程が進行してるんじゃないだろうか。これはあるいは「テロリスト&ブッシュ政権」という単一のカテゴリー。「リベラル」な中道派の弱体化と社会の右傾化の論理的関係はどうだろう。原因・結果か、別の同一の(おそらく複数の)要因によるものか。知識人という有限のパイの取り合いもか(ヨンフルエンザによる氷川きよしブーム減速に似て)。


 にもかかわらず、現在でも政治勢力の分類として左右というくくりは有効(なように見える)。これは分類される側の固定したセルフイメージがあって、ただそれは無意識的なものかもしれない。あるいはより高い可能性への知的挑戦を停止しているという怠慢かもしれない。もっといえば政治勢力とは知性や思想ではなく母集団の別のものを反映する鏡。母集団とは広くは世界、狭くは全国内居住者、さらに狭く有権者団、支持母体、その幹部。