コメント欄での対話の可能性

既にあちこちで言及されていますが、finalventさんと白戸さん(毎日新聞の記者)のコメント欄での対話をご紹介します。


この対話からは

  1. スーダンダルフール問題に関する、実際に現地を訪れた日本人ジャーナリストによる貴重な情報と知見の提供
  2. 実名、かつ肩書きを背負ったいわば「公人」の立場と、匿名の(しかし、継続的な発言をしているという意味で「特名」の)立場の発言者の間で、真摯な対話がなされたというすぐれて現代的な「事件」
  3. より一般的な話として、感情的な摩擦を乗り越えた建設的な議論の可能性と、限定的だが必要にしてかつ十分な相互理解という実例

といったものを読み手として受け取ることができると思います。


一つ目について。「夏のひこうき雲」では、スーダンダルフール地域における人道上の危機をしばらく前から扱ってきたので、今回もその関係で(finalventさんと白戸さんの対話に)言及しました。問題の枠組みを把握する上でまた別の視点を頂いたので、他の読者の方にとっても、まずこの点で大きく有益だと感じます。白戸さんの暫定的な仮説は私が漠然と抱いているものと違いました。


二つ目について。実名、かつ肩書きを背負ったいわば「公人」の立場の人が、インターネットでまったく匿名の人から、無責任で卑怯な罵倒や侮辱を投げつけられるということは、今まで多く存在し、また白戸さんもそうした罵倒・侮辱に苦しめられたようです。白戸さんの最初の書き込みからは、そうした無責任な発言をする人たちへの苦々しい思いが感じられました。(これに対応するfinalventさんの当初の思いとしては、ダルフールでの事態に関する報道がなされていなかったことや毎日新聞のスタンスに対する苛立ちがあり、きつい表現になったようです)
しかし、実名や社会的な肩書きを明らかにせずとも、継続的に自分のブログ(あるいは広くWebサイト)で発言している人は既に多く存在しており、その発言には一定の責任と重みが伴っています。また(これは今回のケースから離れますが)、自分のブログ(またはWebサイト)を持たず、完全な匿名であっても、発言の内容について真摯な態度をとることはできる。といったことをしばし思いめぐらしました。


三つ目について。じつはこの観点からいえば、今回の対話は私にとってとくに目新しいものではありません。finalventさんは既にこれまで何度か他の方とのねばり強い対話を通して、そうした実例、つまり「感情的な摩擦を乗り越えた建設的な議論の可能性と、限定的だが必要にしてかつ十分な相互理解」という実例を示してくださっています。(もちろん今回の件に関していえば、白戸さんの誠意が果たした役割も大きいのですが。)


私自身、コメント欄での有益な対話をid:swan_slabさんと今月14日のコメント欄、および15日のコメント欄で経験しました。そういう意味でも、また別の似た例として、finalventさんと白戸さんの対話は私にとってはタイムリーであり、興味深いものでした。


ただ、私が15日のコメント欄にも

それにしてもこうした意見交換ができることはたいへんありがたいことです。今回のswan_slabさんとのやりとりも、ただのうなずき合いに終わらない(もちろん衝突でもない)、私にとってたいへん有益なものでした。各所で得られているであろうこうした成果が、単なるコメント欄での余談としてでなく(はてなダイアリーのシステム的な改善などによって)広く享受されるようになるといいなあと思います。もっともコメント欄だから可能だったという要素もあるでしょうしなかなか難しいのかもしれません。

と書いたとおり、コメント欄でなされる対話をもう少しはてなダイアリーのページの構造上、うまく活かすことはできないかなあとは思います。現状では検索もできないし、HTMLタグを使ったりもできないので(勿論これはスパム避けのためにやむを得ない面がありますが)。