みたび、「正義感からの行動について」

id:swan_slabさんがコメント欄で新しい示唆をくださり、お返事をしようと考えるうちに長くなってしまいました。まとまりませんが記事として掲載することにします。


スワンさん、どもです。http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20041014#p1も頷きながら拝見しました。

セクト化」なるほどと思いました。それぞれの陣営が味方を増やそうと躍起になっているようにも思えます。(余談ですが現在のアメリカがそんな風に政治的に引き裂かれ、ほぼ二分されてしまっているといわれていますね。)


行為への評価と主体への評価をいったん切り離すべきという私の持論からいうと、この件も、事実に対する評価を、安易に主体への評価と結びつけて人格攻撃にしてしまっているきらいがあるように感じます。これは、日本人の過去の言動(虐殺行為など)についても、現在の対話の相手方についてもです。また言葉を発する側も、それを受け取る側も。(この段落、かなり表現を端折っています。)


……どんどん新しい視点が浮かんできて、しかもそれを言葉にする過程でまた考え込んでしまいますね。

「青少年の健全な育成」や「日本国の誇り」とはどういうことか、それを思考停止のレトリックとしてではなく率直に語り合うことができれば、感情的な衝突の構造は避けられるのでしょうね。

また、スワンさんがおっしゃる「共同体的な感受性に訴えかける抗議」というのは、情念、そして対国家幻想(というのでしょうか)、あるいは〈国家という装置が(個人と共同体との関係において)必然的に帯びる、ある種の宗教性〉といったものと関連しているように思いました。情動というphaseの前にいったん振り返って事実はどうか……まとまらないしあまりに拙いので、このへんでとめます。