『はてしないメモばかり』(わかりにくいだじゃれ)

メモ

  • トリアージの必要は緊急時だけでない
  • しかし基準は知りえない、無びゅうせいは不可能(コミュニズムや計画経済の構造的限界もそこにあるか)
  • だからそれぞれが好き勝手に自分の関心のある分野に取り組むしかないしそれでよい、それがよい(イラクダルフール、農政など「正義」の実現でも。また経済活動も。神の見えざる手、円滑さ)
  • ここまでが大筋で今までの理解
  • しかし、べき乗の法則(よかれあしかれ、関心やリソースは片寄っていく)
  • そしてネットはむしろ片寄りを加速する。と以前読んだ。情報の偏在が遍在になる→人々の関心にばらつきが減ってくる→同じ方向になだれを打つ(さまざまな要因がある。情報過多・自由からの逃走、ランキング志向。逆にほうがんびいきという普遍的心理もルサンチマンとして要因に)
  • やはり現実にはなんらかのトリアージの基準が求められてしまう(良い悪いを抜きにして、実態の観察としては)。高度情報流通社会になればこそ余計に。また、自由からの逃走から連想でいうと、思想的にも人はなんらかの絶対的基準(←響きは悪いが、普遍性のある基準)を求めてしまう。
  • 絶対的基準など知り得ないことを思い知った(太平洋戦争やバブル崩壊の挫折)からこそ、屈折し、自分だけのものという方向にいくが、結局求めるものは「自分だけの『絶対的なもの』」「『絶対にかけがえのない』自分らしさ」になる。
  • それを守るために、中村うさぎの大意「整形したらブスは医者のせいだから、自分らしさ取り戻せた」発言、朝日新聞にて。むしろ顔を自分らしさから切り離し外在化することでコアな部分を守ったのでは。cf.トカゲのしっぽ切り
  • しかし顔や属性への評価と、「自分という存在の価値」を直結させ苦しんでいる人は多い。
  • その現れとしては、整形と同じベクトルが身体改造、逆のベクトルだが同じ現れが自傷かな


話題飛びすぎなのでいったん終了。箇条書きメモ、楽〜。


結論としては「だからこそよりよいものを押し上げていく必要がある、べき乗の法則をことさらに忌避せずにその土俵で」みたいな感じだったのに。話それまくり。