森博嗣とアイザック・アシモフ

山田さん(id:furamubon)(過去の記事のアンカー修正で二重トラックバックしちゃいました、めんご)の、あたかも「王様、裸に見えるんだけど……?」というような勇気から始まったモリモリ談義、続き。つってももうそんなに付け加えることはないんですけど。


森博嗣をけなすだけに終わるのはつまらないなあ、と思っていたのですが結城浩さん(id:hyuki)が日記でアシモフの作品に触れていたので思い出しました。(この私の記事は「ゆうき(勇気、結城)」と「ひろし(博嗣、浩)」がキーワードですね)。


森博嗣の作品が好きな方は、アイザック・アシモフを読んでみるといいかも!


「人間が書けていないという批判がある」「制約された中でのプロット(だけ?)が見所」「論理をあくまで破綻させずにいかに意外な展開に持ち込んで高揚感を味わわせるかがおもしろい」
もし森博嗣の『すべてがFになる』(ISBN:4062639246)にこうした特徴があるとすれば、それはそっくりアシモフの作品の一部にもあてはまるのだけど、アシモフの作品は私ははっきり好きです。仰々しく飾り立てずに緊迫感を醸し出すのがうまいのと、やや類型的ではあるが憎めない登場人物たちが原因かな。


「冷血女」だとか「おそろしく頭がよく有能だが人間味がない」などと言われるスーザン・キャルヴィン(アシモフのいくつかの作品に登場する人物)は、さしづめ、『すべてがFになる』のあの女性にたとえられます。どちらも女史と呼ばれていた気がするし。


アシモフはノンフィクションも含め多彩な作品を遺していますが、森の読者にお勧めしたいのは『われはロボット』(ISBN:4150114854)、ファウンデーションもの(銀河帝国興亡史シリーズ)の初期の数冊*1、あとは『鋼鉄都市』(ISBN:4150103364)、『はだかの太陽』(ISBN:4150105588)あたりかな。(最後に挙げた二作は密室の完全犯罪を思わせるミステリーを二人組が解くという点でも『すべてが…』と共通します)

なお『ロボットの時代』(ISBN:4150114862)やアシモフの他の作品も私は好きですが、一貫した論理性と硬質な手触りという森ファンの好みそうな特徴からは、若干外れた系統に属します。まあ、にじみ出るややメランコリックな感覚や意外性という点では森作品に通ずるものはありますし、一概には言えませんが。


私が『すべてが……』やアシモフ作品を読んだのはもう数か月前(!)だということに留意なさった上で、興味のわいた方はぜひアシモフもどうぞ。いずれもハヤカワSF文庫で出ています。