"game" は「遊び」じゃない


  "game" は日本語にいう「遊び」とは相当異なる。


 日本語の「遊び」には「ハンドルの遊び」や「お遊び」というニュアンスが少なからず含まれている。
「本来とくに必要ないものであって、ひまつぶしに面白半分にやってみるようなもの」だ。少なくとも現代語としての語感は。


 これに対して "game" は、「衣食住の確保に直接必要ないもの」という含みのある点では共通するが、「試合」であり、しかもそれは練習試合でなく「本番」というニュアンスを持っている。
何との試合かというと自分との試合、つまり自分の能力をいかに引き出すかという真剣な闘いだ。まさにこの点が語義の中核なのであって、たとえ衣食住の確保に関係があることでも "game" に当たりうる。

自分の能力を最大限に引き出そうとすることには、苦しさだけでなく大きな喜びも伴う。

ここまでの話は、テレビゲームよりも、スポーツの試合( game と呼ばれる)を念頭に置いてもらうとより理解しやすいのではないかと思う。


 …という内容の文章を中学生のころ読んでなるほどと思ったのですが、どうも「遊び」と "game" の違いはそれほど意識されていないみたいですね。
以前書いた「これはゲームだ。私はこのゲームを真剣にプレイする。gameは本来真剣にプレイされるべきものだ。」という言葉では説明不足だったようなので。

 だとすると、これに密接に関わる"play"という単語についても書かなきゃいけないってことになるのかな…。
楽器の演奏であり、演劇であり、広く「行う」ということ。演劇を演じるつまり「してみせる」という感覚は、他者という概念の違いのせいで理解されにくいんだろうな(西洋の「他者」の概念は、仏教や神道にも実は見受けられるから、これは宗教の違いが理由ではないと思うけど)。


「その先の」議論として書こうとしても、話の土台のところから説明しないといけないとは思いたくない。楽しく書きたいから。
仕事としてお金もらってるわけじゃないし、啓蒙したいとか思ってるわけじゃないし(そんな姿勢は逆に失礼だ)。
トウカイ(漢字が出ない)したくないからなるべく日常用語ですませようとしてるんだけどかえって誤解を招くな(トウカイについてはまた書きます)。


「相手がその言葉を使っている意図は、自分の理解と違うかもしれない」と留意しておかないといけないのは、コミュニケーション全般に通じることだと思う。

あんま力説するのは野暮だけど。Yaboo! Japan。ズィヤペァ〜ンヌ。