お金について、なんとなく今思うこと


 別件で検索していたら、極東ブログ: [書評]失敗の中にノウハウあり(邱永漢)を再発見した。別件ではあったがこういうことを最近考えていたので書き留めておきたい。

 上記の記事に引用されているマタイ伝の箇所はとくに最近気になっていた。(なお手元にあったリビングバイブルで見ると、「マタイの福音書」の、6章23節でなく24節が該当部分となっている。)


だれも、神とお金の両方に仕えることはできません。 必ず、どちらか一方を憎んで、他方を愛するからです。

リビングバイブル―旧新約

リビングバイブル―旧新約

 リビングバイブルは読みやすさを重視してなのか、句点と次の文との間に一文字分余白が入っているので引用もそのままにした。個人的にはそれはやめて、単純に文字を大きくしてくれた方がずっと読みやすいと思う。

 話が逸れたが、今回は話の逸れるままに書いていこうかと思っている。


 最近なぜ「こういうこと」を考えていたかというと、直接にはネットでずっと激賞されているあの『Web進化論』をしばらく前に読んだせいなのだろう。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

 モヒカン族 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 - 星空を見上げすぎて足下の穴に落ちるな・足下の穴埋めを怠るなで、naoyaさんとモッチーをまとめてDISった私としては、当時の記事の趣旨は維持しつつもこの本を読んでちょっとモッチーに対する考えを改めた。
 『Web進化論』はもっと早く読んでおくべきだった。既存の社会構造がどのように変容していくのか、そのダイナミズムが説得力を持って伝わってきた。


 で、たとえば本多静六爺さんの元気が出る話(注:書名は全然違います)にやや感化されていたことが土台となって、少しアレしつつあるわけですが。

私の生活流儀

私の生活流儀


 邱永漢のいうような、「他人のことや世界のことを心配する前にまず自分がお金持ちになれ」的な言葉とか、「100万円持っている人と1億持っている人では、高いところに上ったときのように見える景色が違う」的な言葉にはかなりの違和感を覚えるのも事実。あ、ただ、この本はすごくよかったです。

お金持ちになれる人 (ちくまプリマー新書)

お金持ちになれる人 (ちくまプリマー新書)

 最近あまり読まなかったジャンルの本もあれこれ読み始めているので、この邱永漢の本がいかに優れているかということを感じる(あまりこういう教養が自分にないことを差し引いても)。


 で、かなりの違和感を覚えるという話に戻って。たとえば以前夏のひこうき雲 - ミヒャエル・エンデ『モモ』、ほかで紹介したエンデの『モモ』とか、あるいはこの記事の最初に戻ってマタイ伝の山上の垂訓のうちの引用した下りだとか、そういう立ち位置が私にとって基本なので、さてどのように整合的に考えればいいのかという迷いがある。もちろん必ずしも整合的に考える必要はないのだが、どちらかのスタンスが完全に間違っているようには思えないので、統一的な理解を進めたい。

愛蔵版 モモ

愛蔵版 モモ


 と思っていたことを、極東ブログ: [書評]失敗の中にノウハウあり(邱永漢)を何度目かに今読み返して思い出したという話。極東ブログのこの記事の中では次のような形で理解されている。


「富」は原語を当たればわかるがマモンであり擬人化されている。日本風に言うならここには二つの神がいて、イエスの神はマモンという神に嫉妬をするのである。嫉妬こそユダヤキリスト教の神の本質である。そして、福音書をよく読めば富が忌避されているのでもないリアリズムを知る。イエスは天に宝を積めというが、人の心はカネのあるところに寄り添うようにできているのだから、それなら天にでも積むがよかろうという一種のユーモアもある。もっとも強欲な商人こそが神に近いといったホラ話のような笑話もある…笑話なんだよ。セム・ハムの古代世界は性と欲の笑いに満ちているものだ。

 私の感覚としてはそれに近い。ただ、そのユーモアだけで乗り切ろうとすると、私の中にそれはどこか嘘というか小ずるい言い訳になるんじゃないかという強い疑問がかすかに起こる。この記事の冒頭で「こういうことを最近考えていた」というのはその疑問を含めてだった。
 ただ、その疑問が生じるまでの一連の思考過程を経るという、これまで何度か経験した体験のうちで、少し時間があるとき何度か思ったのが次のようなことだった。


 つまり、たぶんクリアに割り切ってしまうなら、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』的な把握が一番しっくりくるということ。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)


 プロ倫は、想定される反論などに予め細かく反論していたりとか、かなり厳密に論を進めようとしているために、読みづらさがジャンボ山盛りだったが、ヴェーバーの考え方については大塚久雄の『社会科学における人間』がわかりやすく語り口調で書いていてくれたように記憶している(この本については夏のひこうき雲 - 『社会科学における人間』、『菊と刀』、『バカドリル 頭痛』や、モヒカン族 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 - 『社会科学における人間』とモヒカン族的合理主義思考で紹介した)。

社会科学における人間 (岩波新書)

社会科学における人間 (岩波新書)


 ごく簡単に、乱暴にいうと、現世は所詮仮の住まいであり、そこに重きを置くべきではない。しかしかといって厭世的になるのではなく、仮の住まいだからこそ、短距離走を全力疾走するように、あるいはアウトドアでキャンプするときにはスマートに合理的に周りを汚さずに楽しむように、ベストを尽くしてなすべきことをなすというような在り方・考え方をとろうと思っている(私の理解では、パウロがそういう感じ)。お金が大事なのではないが、世の中に既に存在している価値というものを大事に扱い、より高い価値をこの世に生みだしていくことがあるべき姿勢というか。
 堅苦しく聞こえてきたころだと思うので、このへんで終わります。本の紹介がやたら多くなったけど、それぞれ文脈のうえで欠かせないので、よかったらどれでもぜひ読んでみてください、それぞれ趣向は違いますがどれもおすすめの本です。


 ……と、いうところまでの文章を2、3週間ほど下書きのまま放置してあったので、とりあえず掲載してしまおうというのが今回の記事。


 ちなみにその後ロバート・キヨサキの『金持ち父さん、貧乏父さん』も読んだ。

金持ち父さん貧乏父さん

金持ち父さん貧乏父さん

 徴税権に対する理解の仕方はさすがアメリカというか私は全然違うとらえ方をしているし、そのほかの点でも、価値観が違うなあというところもあった。
 自分と違う価値観から来る部分をきちんと見分けて、それ以外を読み取り知見として活用することができる人なら、この『金持ち父さん、貧乏父さん』もおすすめ。


 ついでに思いつきで書いておくと、すぐ上の本の足りないところはドラッカーの『明日を支配するもの』が大いに補ってあまりあると思う。

明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命

明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命