はてなブックマーク代替クリップ、仏教、『社会科学における人間』
自分のはてなブックマーク「浮雲」にいくつかページを登録*1しようと思ったら、何かメンテナンス中でできないみたい。
仕方がないのでここにコメントとともに書いておきます。
はてなブックマークは人気があるシステムのせいか、サーバーのレスポンスが悪い(反応が遅かったりメンテナンス中と表示され利用できないことが多い)という印象があります。
ソーシャルブックマークは、ローカルな環境での情報の蓄積を代替する便利さも大きなメリットのはずなので、検索に手間がかかると使い勝手が極端に悪くなってしまいます。
そのときどきでの自分の感想を記録するという用途だけでなく、有益なページをリソースとして残し、後で振り返って過去の分を参照するという機能も重要ですし、各種参考資料集として便利に使いたいという方も多くいらっしゃると思うので、ぜひサーバーの整備や増強をお願いいたします。(はてなダイアリーへの要望)
以下、とくにリンク先の相手の方の反応を求めてというほどのことはなく、いつものクリップ程度の内容です。
地 に 足 が つ い て い る 日 記: 超安くてどんな文字にも絵にも対応するpalm
[笑]あはは、これ前にも見たことあったな。落ちに気づいても普通に商品としての訴求力を感じる
「日露戦争百周年を祝う青年の集い」レポート 東郷平八郎と「日本の誇り」 [絵文録ことのは]2005/09/04
簡単にいえば私は「他の国を罵ることが愛国だと勘違いし、他の国を罵らなければ自尊心を保てないような日中韓各国の自称愛国厨房」を批判しているのであって、そうでなければ好きなものは好き、嫌いなものは嫌いでいいと思っているわけである(自分自身がそういう枠組みで考えるかどうかは別にして)
[social][要再読]括弧内のただし書きも含め、まったく同感。レポートそのものはあとで読む
しらざるをしる日々 - 「いまどう思ってるんだよ!」
[コメントさせていただ][social] 「と思いました」が過去形として現在の自分の考えを示さずにおくという手法なのかというような話題。私のコメント一部抜粋
schillasalさんへの批判とは受け取ってほしくないのですが、一般に日本語は英文法からの類推で分析されがちなので、「た」イコール(すべて)過去形という誤解は厄介だなと思います。(たとえばよくある誤解ですが、「前から好きでした」は内容からいって過去形ではなく存続あるいは確認だから、「現在はどうなのか」という疑問は出ませんよね)
なお読み返して思ったのだけど、schillasalさんへの批判とは受け取ってほしくない
だけでなく、jounoさんへの批判でもないと明記しておきます。上記引用部分もあくまで一般論としての話。
極東ブログ: [書評]砂漠と幻想の国 アフガニスタンの仏教(金岡秀友・菅沼晃・金岡都)
finalventさんは資料の引用や要約の中にまぎれさせてそっと断片的なメッセージをしのばせることが多いように私は読んでいるが、今回の以下の部分はわかりやすい。
捨身と暴虐を背景とした古代のアフガンの風土のなかで仏教は陶冶さてきた。しかし、日本人もその仏教もそうした原風景のようなものに立ち向かうほどの精神性は持ち合わせてはいないのだろう。
私は『社会科学における人間』を先日読み終わったのだが、ウェーバー(ヴェーバー)のいう仏教的な現世拒否が、エリート層による(大衆の中での)呪術の温存*2と、「知らしむべからず、よらしむべし」的な社会のリードにつながる経緯の叙述など、非常に説得力があり興味深く読んだ。
圏外からのひとこと(2005-09-01)"集団知の創造的機能、最適化機能、選択機能"やミルヒョー戦レベルの大衆と力道山レベルの知識人などとの関連を少し書いてみようと思っていたのだけど、仏教に対する認識・把握という意味では極東ブログのこちらの記事にも関心を持った。
なお、仏教というのはヘレニズム宗教なのではないか
というのは新鮮だった。このあたりで頂いた示唆からは、キリスト教がヘレニズム文化圏の大きな影響を受けて成立(というか各地に波及)したという印象を持っていたが、仏教についても発祥の地の歴史的地理的状況としてはたしかに頷けそうだ。ただ大塚久雄が紹介するところの、ウェーバーの理解としての中国などでの受容の様子はかなり違うし、結果として日本人もその仏教もそうした原風景のようなものに立ち向かうほどの精神性は持ち合わせてはいないのだろう
という上記引用部分についてはなんとなく共感する。
この小見出しについてはブックマークのとりあえずの代替としての姿勢がぶれているけど、もう少し続ける。『社会科学における人間』については少し前にモヒカン族 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 - 『社会科学における人間』とモヒカン族的合理主義思考でその前半を紹介させていただいたが、読了してみてさらに、非常に優れた書籍と感じた。
基本的にessaさんと私自身の感性みたいなものは(僭越ながら)よく似ているし、目指している方向もほぼ同一だと感じているのだけど、少なくとも日本における社会状況の現状認識については若干違いがあるようにも感じている(私の方がやや悲観的)。
現状認識は別として、そうした感性や方向性、文化圏ごとの社会構造・経済システムとその基盤をなすメンタリティーの歴史的要因を分析的に概観する上で、『社会科学における人間』はたいへんエキサイティングでためになると思うので、essaさんも他の方も、もしお読みでないならぜひご一読ください。狭い意味での遊びとしての「モヒカン族」の意味範疇を超えて、(なんじゃこりゃ〜なるほどのぅ)という世界が私の中で広がりました。この感覚はGoogleマップを拡大縮小したときと似ています。
- 作者: 大塚久雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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岩波新書ですが、講義録に編集を加えたものなので、内容の割にかなり読みやすいと思います。