庚申塚

 元気でやっておりますが、とくに書くことがありません。

 浮雲にはどんどんクリップしているんだけど、こちらはなんというか、人目につきすぎるせいで、確固とした主張を広く訴えているという感じになりかねない。

 そんなに大声で言いたいことはとくにない。というか、大声で言っているように思われてもいいようなことで言いたいことが思いつかない。んーどうだろう。いや、思いつくけど、書くと大げさになってしまうし、単に堅苦しい人として間違ったレッテルを貼られてしまうので書く意味がない。

 日常生活のことはほとんど書かないことにしているので、そうするとよけいに書くことがない。(両方、つまり硬い話題も日常生活のことも書けば堅苦しい人としてのレッテルは免れるのだろうけど、別にそこまでしようと思わないし)

 というわけで、さらに深く潜行します。関係ないけど、「潜水艦映画に外れなし」みたいなこといいますよね。ほんとかな。


 あ、最近考えているのは、「ブルゴーニュ」という言葉の音の響きのおもしろさを何かに使えないだろうかということ。何かのだじゃれにならないかな?と逆から考えたりしています。

 こんなこと程度なら書いても支障ないけど、別に書いてもおもしろくないしなあ。少なくとも私はそんなに楽しくない。


 いつもたくさん書いている人は、サービス精神が旺盛だなあとふと思った(くさしに読めてしまうかもしれないから、あんまりこういうことは書かない方がいいのだろうけど)。

 こういう記事は、読んで納得した人が同じように更新を控えるようになってしまうかもしれない。そのような流れを作るのは本意ではないのであまり書かないようにしているんだけど、まあそこまで配慮するべきものでもないのかもしれない。
 このことを少し抽象度を上げて書くと、「自分の言説の社会的影響を考えるべきだ」と言っても、考えたくない人は反発するだけだし、元々考える人は考えすぎて萎縮してしまう。

 そんなあたりのことをときどき考えていますが、こうして文字にしてみるとやはりつまらんのう。もともと誰かに伝えたりするようなものではない内容だからかな。