左近の心情は左翼に近いだよ

 別に何か政治団体に属してはいませんし支持政党も特にないのですが、「左近」というハンドルネームの通り、私は心情的に左翼に近いと思います。それがいい悪いはまた別の話なのですが。
 ……「ハンドルネームの通り」というのは後から思いついたことで、ほんとうはsummercontrailというアカウント名を略しただけなんですけどね。

 左翼の人はとかく感情論で突っ走るとか、頭が悪い人が多いという批判をここ数年耳にするようになりました。朝日新聞みたいに、上から偉そうに啓蒙しようとするだとか。
そっくり同じようなことが右翼にも鏡のようにあてはまると言えるような気はするものの、そうした批判には一応の根拠があるように思います。

 私自身、たとえばダルフール危機などのことで、感情論で突っ走ったり知識をひけらかしたりして、偉そうに啓蒙しているようにも見えているのだろうし、その点について気づかされるような示唆をいくつかいただいていました。


 「自分の発言や行動の内容」そのものではなく「自分の姿がどう見えるか」という他人との関係性の視点にとらわれてしまっている人ほど、自分もその点で悩み、他人に対しても「上からものをいう」とか「偉そう」だとか、皮肉な目で見てしまうという面あるのではないかとも思います(これは人格非難や切り返しとして言いたいのではありません。私自身もそうなってきてしまっていますし)。

 ここで何か徹底的にひとつひとつ反論しようとは思わないし、徹底的に反論できるとも思っていません。受けとめて今後の自分の在り方に活かそうと思っています。


 本題に入ります。今『幸福の王子』のブックマークを探していて、江川紹子ジャーナル 〜 社会のこといろいろ 〜というページのことを思いだしたので、ご紹介しておきます。今年の5月2日に書かれたものです。

 内容は、冒頭に

批判メールを下さった方々へ
 イラクでの日本人拘束事件に関する私の発言に関して、メールで様々なご意見を頂きました。とりわけ初期の間は、私に対する批判がかなり寄せられました。
 時間が経つに連れて、私に共感して下さるご意見の方が圧倒的に多くなりましたが、それでもポツリポツリと批判はまだあります。
 どちらのご意見にしても、私が書いたものをきちんと読んで、書いて下さったものは、考えを整理するうえでも参考になりますし、とても感謝をしています。 
 ただ、寄せて下さったご意見があまりに多く、それに対して私の時間はあまりに少なく、丁寧な返事をすることができないでいます。
 ということで、寄せられた批判に対して、私がどう考えているかを、まとめてみることにしました。
 これまで書いたものと重複する話題もあり、少々長くなりますが、がまんして最後まで読んでいただけると幸いです。

 とある通りです。ぜひ読んでみてください。


 いわゆる右翼左翼という分け方からすればご紹介した文章は左翼的と言えるでしょうが、左翼であってもこのように、しっかりと詰めて考え、それを表現できる人はいるわけです。
 右翼と自認する人たちからすれば、読んで「やはりものがわかっていない」と思うかもしれませんが、それはただ意見が違うから条件反射的にそう思ってしまうのかもしれませんし、そうでないかもしれません。少なくとも私はこの江川さんの文章は冷静に一つ一つの点について丁寧に考える姿勢を持っていると感じ、そのような姿勢を好ましく思います。


 困難ではあるけれど、ルサンチマンニーチェのいう奴隷道徳とは別の次元で/そのような構図から解放された良心も成り立ちうるし、また現に存在している。そう私は思います。感情的に言うのではなく、もし希望というものが存在するなら、その良心の可能性こそが希望だと考えています。


 ちなみに私はニーチェの著作そのものは読んでいないので、その点は割り引いて読んでください。


 とか書いているうちに、『幸福の王子』の続きを読む時間がなくなったー