映画「ライフ・イズ・ビューティフル」

映画「ライフ・イズ・ビューティフル」(ASIN:B00005V2NG)を観ました。

 ライフ・イズ・ビューティフル [DVD]

正直いって期待していたほどではありませんでしたが、それなりに楽しめました。
ライフ・イズ・ビューティフル」はユダヤ強制収容所での生活というテーマのせいで、観る側としてはつい構えてしまいがちですが、あくまでフィクションとして楽しむのがよさそうです。重いテーマだからといって重く描かなければならないということはありませんし、こういうのもアリだろうなと。


前半のプロットは絵空事として受け取らないと、人の帽子を盗んだり鍵を盗ったり仕事をさぼったり車を奪ったりする主人公に腹が立ってきます。そばにいたらかなり迷惑な人。
これがチャップリンなら腹が立たないのはなぜかと考えると、チャップリンは自分の演じる役柄を明確に低い位置に置き、なおかつあまり能弁ではないからかな(あくまで役柄として)。

収容所で、知り合いの医師にこっそり呼ばれてなぞなぞについて尋ねられるシーンは、何か便宜を図ってもらえると思った主人公の失望と、医師の当時のドイツ人としての人間的な限界を示していたのでしょうか。だとしたら医師役の俳優が立派すぎて、他の配役と比べ「役不足」に感じました。


兵士が怒鳴る注意事項を、脇で息子向けにおかしな翻訳をするシーンにはかなり笑いました。
なによりも、少年の表情がよかった!


そして「これはゲームだ」という視点は、私たちがさまざまな局面を乗り切る上で有用な視点ですね。このことは以前からここでも何度か書いています。

ただ、事実と異なることを告げてまで子どもに「これはゲームだ」と言い聞かせるのは欺瞞でしょう。仮にまだ真実に耐えられない年齢だったとしても、真実からその子の目を完全に覆おうとすることは度を越したパターナリズムのようにも思えます。その時代には、年齢を問わずみなが真実に耐えたのですから。
子どもがゲームに対してあれほど負けず嫌いだったからたまたまよかったものの、ゲームだと思い込ませることはかえって危険を高める行為だったともいえます。


しかし主人公のあの特有で強固なキャラクターにとっては、自分が子どもをあのような困難な事態にさらさざるを得ないことを受け入れがたかったのだろうとも推測します。これは現実ではない、ただのゲームだ、と自分も思っておきたかったのでしょう。
これは親のかたくななエゴでもあり、また深い愛でもある。少なくとも世間で「愛」と呼ぶ類のものです。


わがままで調子がよく口が達者で自分と家族のこと以外はあまり気にかけず、いつも陽気でほがらかなキャラクター。そんな人間がある状況に直面したときの、ひとつの幸福な”解”を見たように思いました。

もっともそれは冒頭に出てきた友人や叔父上、収容所で同室の人々など周囲の協力、そして幸運が少しでも欠けていれば成り立たなかったものです。