春と修羅

はてな 「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明」らしいんですが、この言葉、ここはひとつ、中学生にもわかるように説明していただけませんでしょうか。

 ちょっと面白い質問だったので、以下のように回答してみました。


 まず、「わたくし」について「現象」と呼んでいますよね。
これは、宮沢賢治が「自分は確固たる存在ではなくて、つかの間に現れた現象だ」というように考えていることを示しています。
例えば、ものが燃えるときに上げる炎、あの炎は現象ですね。

 では何の現象でしょうか?
宮沢賢治はここで、「青い照明」だとしています。
つまり、炎が燃えるという現象であるように、
照明が光るという現象=それが「わたくし」だというのですね。
なぜ青かというと、きっと宮沢賢治が好きな色なのでしょう。

 では青い照明は一体なぜ存在するのだろうか。
ここで、大きな電燈の設備があると考えてみます。つまり「仮定」します。

 それはただの機械ではありません。賢治の想像では、色んな要素が混じり合って、
他の機械や他の要素とお互いに影響し合いながら動いています。
それを「有機的な」「交流」電燈と表現しているのでしょう。

 その電燈の設備がいきいきと作動していることの「ひとつの」現れ、
それが「ひとつの青い照明」つまり「わたくし」ということではないでしょうか。

 電燈の設備はあくまで想像上のものですから「仮定された」と賢治は言うわけです。

 何かを言葉にして説明するということを通して自分の理解や考えが深まるのは、楽しいですね。
(青が「賢治が好きな色だから」というのは、簡単にすませたけど嘘ではないと思う)

 「中学生にもわかるように」という言い方がよくされますが、これは「<基礎的な論理的思考能力はあるが、知識はまだ十分に蓄積していない人>にわかるように」という意味だと思っています。

 『春と修羅』の「序」冒頭、わたくしといふ現象は/假定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です

 かたい話題ばかり書いていたのでふざけたくなってきました。